
吉野ヶ里遺跡に行ってみたいけど,見どころはなんだろう?

吉野ヶ里遺跡まで行くのなら,周辺の観光地も合わせてまわってみたいけど,どのように旅行プランを作ればいいのか分からない。


野兎八兵衛(のうさぎ はちべえ)です。国家資格「総合旅行業務取扱管理者」を持つ野兎八兵衛が,吉野ヶ里遺跡と周辺の見どころを案内し,吉野ヶ里遺跡を含めた旅行プランの作り方を説明します。
本記事の内容
- 佐賀県にある吉野ヶ里遺跡は,弥生時代の大規模な環壕集落跡です。
- まるでタイムスリップしたかのような体験ができる,歴史ファンはもちろん,そうでない方も楽しめる魅力的なスポットです。
- この記事では,弥生時代の概要から吉野ヶ里遺跡の歴史,見どころまでを徹底解説します。さあ,古代日本への旅に出かけましょう!
吉野ヶ里遺跡の巡り方と吉野ヶ里遺跡周辺の見どころがわかり,吉野ヶ里遺跡を含めた旅行プランを作れるようになると思いますよ。
吉野ヶ里遺跡に行く前に知っておきたいこと
弥生時代とはどんな時代?稲作が変えた日本の歴史
弥生時代とは
弥生時代は,日本列島で本格的な農耕文化が始まった時代です。特に水田稲作の普及は,人々の生活様式や社会構造に大きな変化をもたらしました。
この時代は,紀元前10世紀頃(または紀元前9~8世紀)から紀元後3世紀中頃までとされています。縄文時代と古墳時代の間に位置する,約1000年間続いた時代区分です。
環境変化と農耕の発展
縄文時代末期の寒冷化により植生や海岸線が変化し,食料資源が減少しました。この環境変化が農耕への移行を促し,水田稲作を中心とする農耕社会が確立されました。食料の安定供給が可能になり,人口増加や集落の大型化につながりました。また,朝鮮半島などから渡来人が稲作技術や金属器などの新しい文化をもたらしました。
社会構造の変化と争いの発生
農耕による穀物の貯蔵が可能になると,集落間に貧富の差が生まれました。これにより争いも発生するようになります。防御施設を備えた環壕集落が各地で築かれました。弥生時代後期には,政治的なまとまりが生まれ,卑弥呼などの指導者が登場します。
吉野ヶ里遺跡:弥生時代を今に伝えるタイムカプセル
吉野ヶ里遺跡からは,弥生時代のすべての時期の遺構・遺物が発見されています。弥生時代の生活や文化,社会構造を明らかにする学術的に価値の高い非常に貴重な遺跡です。
環壕集落は,集落の周囲に濠を巡らせた集落で,敵の侵入を防ぐ役割を果たしていました。吉野ヶ里遺跡の環壕集落は,国内最大規模を誇ります。大規模な環壕集落の跡は圧巻で,当時の様子を想像することができます。
吉野ヶ里遺跡は,登呂遺跡(静岡県静岡市),原の辻遺跡(長崎県壱岐市)と合わせて,「弥生集落三大遺跡」のひとつに数えられています。
本ブログでは,「久能山東照宮を訪ねる旅」のガイドとプランの記事で,周辺の見どころとして,静岡県の登呂遺跡を紹介しています。よろしければ,そちらもどうぞ。
吉野ヶ里遺跡に見る弥生時代の変遷
早期(紀元前10~5世紀頃)は,小規模な集落が形成され、農耕文化が根付いた時期です。
前期(紀元前5~2世紀頃)には,吉野ヶ里丘陵一帯に分散的に小規模な「ムラ」が誕生。やがて環壕を持つ集落も出現し,「クニ」への発展の兆しが見られます。
中期(紀元前2~1世紀頃)になると,大規模な外環壕が築かれ,首長を埋葬する墳丘墓や甕棺墓地も造られました。集落の防御が強化されたことから,争いが激しくなっていたことが推測されます。
後期(紀元前1~紀元後3世紀頃)には,国内最大級の環壕集落に発展し,V字形の外環壕に加え,特別な空間である北内郭・南内郭が形成されます。北内郭では大型の建物が建てられ,吉野ヶ里の最盛期を迎えます。
3世紀後半頃,環壕は埋没し,集落としての機能は失われたと考えられています。その後,この地は埋葬の地へと変化しました。人々はどこへ行ったのでしょうか?その謎は今も残されています。

邪馬台国九州説と吉野ヶ里遺跡
日本史最大のミステリーの一つ「邪馬台国はどこにあったのか?」という論争は,江戸時代から続いています。大きく分けて「九州説」と「畿内説」がありますが,吉野ヶ里遺跡は九州説の有力候補です。
3世紀に書かれた魏志倭人伝には,邪馬台国は「女王・卑弥呼が治め、魏に使節を送った」と記されており,これに対応する遺跡を探す中で吉野ヶ里が注目されました。環濠集落の規模,発見された祭祀遺物,対外交流の痕跡などが,邪馬台国の姿と一致する部分が認められるためです。しかし,吉野ヶ里遺跡から邪馬台国や卑弥呼に関する直接的な遺物は発見されておらず,現在も邪馬台国論争の決着には至っていません。
邪馬台国九州説を広めた一人に,長崎県出身の経営者・作家・郷土史家の宮﨑康平(みやざき こうへい:1917年(大正6年)-1980年(昭和55年))がいます。1949年(昭和24年)に昭和天皇が島原を来訪するに際して,勤務先の島原鉄道は路盤強化のための突貫工事を行い,このときの過労によって宮﨑は失明してしまいます。その後,島原鉄道の常務取締役を辞任した後,魏志倭人伝の記述を独自の解釈で読み解き,著書『まぼろしの邪馬台国』(1967年(昭和42年))で,邪馬台国が島原半島(長崎県)にあったという説を展開しました。この書籍は,邪馬台国論争をより魅力的なものにし,一般人にまで邪馬台国論争に火を点けました。この功績で,第1回吉川英治文化賞を受賞しています。
「まぼろしの邪馬台国」は,2008年(平成20年)に宮﨑康平の妻・和子に視点を当てた作品として,吉永小百合の主演で映画化されています。また,さだまさしの「関白宣言」は,宮﨑夫妻がモデルと言われています。
吉野ヶ里遺跡整備の経緯
立地と研究の始まり
吉野ヶ里遺跡は,福岡県と佐賀県の県境にまたがる脊振(せふり)山地の南麓から佐賀平野へ伸びる田手川に面した段丘に位置しています。佐賀平野東部には多くの遺跡が点在し,古くから知られていました。

出典:https://www.yoshinogari.jp/introduction/remains/
この地域での考古学研究は,大正時代後半に本格化しました。昭和9年には吉野ヶ里遺跡についての報告も発表されています。戦後には,現在の公園東口から約3km北側に位置する「三津永田遺跡」の調査が行われ,弥生時代の遺物が多数発見されました。
1952年(昭和27年),段丘がみかん園として開墾された際に,多くの甕棺が発見されました。その中には人骨とともに前漢時代の銅鏡である連弧文昭明鏡が含まれていました。さらに翌年の水害で護岸工事が行われた際には,多数の甕棺に加え,鉄器,貝製腕輪,ガラス製の玉などの貴重な遺物が発掘されました。
これらの発見により,弥生時代前期から後期にかけて,この地域と大陸との交流が活発に行われていたことが明らかになりました。
工業団地開発計画と遺跡発見
1981年(昭和56年),佐賀県は地域活性化と工業発展を目指し,『80年代佐賀県総合計画』を策定。「佐賀東部地区工業開発適地調査協議会」を設置し,工業団地の適地を検討しました。
1982年(昭和57年),吉野ヶ里段丘一帯が最有力候補地に内定。この時点で埋蔵文化財の存在は認識されていましたが,詳細は不明でした。
1983年(昭和58年)には,工業団地開発に先立ち,文化財確認調査を開始。調査結果を踏まえ,重要な遺跡は保存緑地として保護する方針を採用しました。
1986年(昭和61年),本格的な発掘調査を実施。約59ヘクタールもの広範囲にわたる遺跡の存在が確認されました。弥生時代中期以降の集落跡や高床倉庫,竪穴建物,壕,甕棺などの遺構が次々と発見され,その規模の大きさから「弥生時代最大級の環壕集落」として注目されました。
吉野ヶ里遺跡の発掘調査の様子をまとめた動画が公開されています。
大々的な報道と開発中止の決断
1989年(平成元年)2月23日,一部報道機関による大々的な報道が開始。前日の2月22日が「吉野ヶ里遺跡で大規模な環壕集落が発見された日」とされています。
吉野ヶ里遺跡の大発見は全国的なニュースとなり,連日多くの見学者が訪れるようになり社会現象となりました。
国民的な関心の高まりを受け,同年3月には,佐賀県は遺跡と重複する地域の開発を中止することを決定。貴重な文化遺産を未来へ伝える道を選びました。
特別史跡指定と国営公園整備
吉野ヶ里遺跡は,弥生時代における有力首長層の成長や「クニ」の形成を考える上で欠かせない大規模な環壕集落として,1990年(平成2年)に史跡に指定されました。その後の詳細な確認調査によって,翌1991年(平成3年)には,その学術的価値の高さから特別史跡に格上げ指定されています。
佐賀県教育委員会の調査によって,遺跡は南北約1km,東西約600m,面積約40ヘクタールに及ぶ大規模な集落跡であることが判明しました。調査では,弥生時代前期から後期にかけての集落の変遷過程や墳墓の形成過程が明らかになり,他に例を見ない豊富な情報を提供する遺跡として評価されています。
佐賀県は,1991年(平成3年)に「国営吉野ヶ里歴史公園実現推進本部」を設置し,官民一体となった取り組みを展開しました。この運動には全国史跡整備協議会や日本考古学協会,九州知事会などの支援を受け,歴史公園の実現を強く訴えました。
1992年(平成4年)には,吉野ヶ里遺跡を保存・活用するための国営歴史公園の整備が決定されました。国営歴史公園として整備されたのは奈良県の「国営飛鳥歴史公園」に続き,吉野ヶ里遺跡が全国で2例目でした。
吉野ヶ里歴史公園は,国営公園(約54ヘクタール)と県立公園(約63ヘクタール)を合わせて,約117ヘクタールの広大なエリアを有する公園として整備され,2001年に第1期開園。当初の面積は47.3ヘクタールでしたが,発掘調査の進展に伴い拡張され,2024年(令和6年)7月現在では面積約106.9ha(国営公園約52.8ha、県立公園約54.1ha)が開園しています。現在も発掘調査と整備が進められています。
吉野ヶ里遺跡は,2006年(平成18年)に,古代の環壕集落でありながら防御的な構造を持つことから,「城のルーツ」とも言える存在として,日本100名城に選定されました。

出典:https://www.yoshinogari.jp/information/map/
吉野ヶ里歴史公園の見どころ:4つのゾーンで弥生時代を満喫
吉野ヶ里歴史公園の基本テーマは「弥生人の声が聞こえる」です。遺跡の保存を第一に考え,「本物」にこだわった復元と分かりやすい展示を通して,弥生時代を五感で体感できる場を創出することを目指しています。また,日本だけでなく世界に向けて情報発信する拠点となることも目指しています。
吉野ヶ里歴史公園は,「入口ゾーン」「環壕集落ゾーン」「古代の原ゾーン」「古代の森ゾーン」の4つのゾーンで構成されています。それぞれのゾーンの魅力をご紹介します。公園は非常に広いため,無料の循環バスが走っています。東口「環壕入口広場」,西口,北口前からは20分おきに出発しています(園内バス運行ルート・時刻表)。うまく活用しましょう。

出典:https://www.yoshinogari.jp/information/zone/
入口ゾーン:冒険の始まりはここから!
吉野ヶ里歴史公園の入口ゾーンは,弥生時代の世界に飛び込むスタート地点です。公園には東口,西口,北口 の3つの入口がありますが,ここでは,公園のメインゲートである東口があり情報が集まる入口ゾーンの魅力を詳しくご紹介します!
JR吉野ヶ里公園駅や国道385号線からアクセスしやすい入口ゾーンは情報収集の拠点。まずはここで園内散策の計画を立てましょう。
- 広々とした駐車場: 大型車80台,小型車540台,二輪車30台を収容できる駐車場があります。車でのアクセスも安心です。
- 駅から徒歩圏内:JR長崎本線「吉野ヶ里公園駅」から約1.1km。駅北口にある「吉野ヶ里公園駅コミュニティホール」でレンタサイクルあり(園内には乗り入れ不可)
入園する前に歴史公園センターを覗いてみましょう。公園全体の情報や見どころの案内や,お土産ショップやレストランもあり,散策前の拠点として最適です。

ガイダンスルームでは,吉野ヶ里遺跡の歴史や施設の概要をパネルや映像でわかりやすく紹介。遺跡巡りの前に訪れると,より深い理解が得られます。公園オリジナルプリントシール機も設置。
レストランでは,地元の新鮮な食材を使った料理や,古代米「赤米」を使ったご飯が楽しめます。味覚でも弥生時代へタイムトリップできるメニューが充実!
なお,吉野ヶ里歴史公園は,お弁当持ち込みもOK! レストランの他,弥生の大野,まつりの広場,弥生くらし館などでお弁当を食べるのもおすすめです(場所の予約は不可)。
お土産ショップには,佐賀県の特産品や、公園マスコットキャラクター「ひみか」「やよい」のグッズなど、お土産にぴったりの商品が豊富に揃っています。
なお,同日内であれば,再入園スタンプを押してもらうと,再入場や別入口からの入園も可能です。車の場合は,駐車料金支払い時の半券があれば,別入口の駐車場も利用できます。
チケットを購入したら,田手川に架かる天の浮橋を渡って,いよいよメインの環壕集落ゾーンへ向かいましょう!

環壕集落ゾーン:いざ,弥生時代へタイムトリップ!
吉野ヶ里遺跡の中でも特に見どころ満載の「環壕集落ゾーン」。ここでは,弥生時代最大級の環壕集落が復元され,当時の暮らしや文化を肌で感じることができます。
環壕集落(かんごうしゅうらく)とは,周囲を堀(環壕)や城柵で囲むことで敵の侵入を防ぐ構造の集落です。吉野ヶ里遺跡は,弥生時代後期(約2100年前),特に3世紀頃に最盛期を迎えた,巨大な環壕集落で、約40ヘクタールの広さを誇ります。
なお,吉野ヶ里遺跡の環壕は,水を張っていた形跡が無いことから環濠ではなく環壕です。
発掘調査で見つかった柱の跡や竪穴,環壕の位置に基づいて忠実に復元された建物群は,当時の風景と人々の営みを鮮やかに蘇らせます。集落内はエリアごとに役割が異なっていたことが出土品や建物の形状から判明しており,98棟の建物を通して弥生人の生活を垣間見ることができます。
環壕集落ゾーンの見どころや各エリアの特徴を,おすすめの巡り方に沿って,わかりやすく解説します。

吉野ヶ里遺跡展示室:集落巡りの前に立ち寄ろう
田手川に架かる天の浮橋を渡ったところが環壕入口広場です。ここから,城柵の間を抜けて北西方向に向かうと,展示室があります。
佐賀県文化課文化財保護・活用室により運営されており,遺跡から発見された貴重な資料を展示しています。
おもな出土品はここで見学できます。銅剣や青銅器の鋳型、かめ棺や土器、石包丁や矢じりなどの実物やレプリカ、模型が展示されています。大陸との交流の証ともいえる墳丘墓から発掘されたライトブルーのガラス製の管玉のレプリカも展示。レプリカながら、その美しさが目をひきます。
集落を巡る前に訪れておくと,理解が深まると思います。

南内郭(みなみないかく):為政者の住居エリア
展示室前の城柵を入ると南内郭です。ここは,吉野ヶ里が最盛期を迎えた頃に,周辺のムラを治めていた王や支配者層の人々が住んでいたと考えられています。
敵の侵入を防ぐために周囲を環壕と城柵で囲まれており,敵を見張るための高さ10mの物見櫓は権威を示すとともに集落のシンボルにもなっていました。
竪穴住居,集会の館,煮炊き屋など,20棟の建物が復元され,支配者たちの暮らしぶりを垣間見ることができます。
物見櫓からは,佐賀平野の向こう遠くに島原半島が見渡せます。当時は現在よりも海面が高く海岸線は今よりも内陸側にあり,有明海も近くに見えていたことでしょう。

中のムラ:まつりごと用の道具や供物等の製作・保管場所
南内郭を北側に出て進むと,中のムラがあります。
中のムラは,北内郭で行われるまつりごと(祭祀)で使われる供物や道具等を製作・保管する場所と考えられています。

北内郭(きたないかく):クニの重要な決め事や祭祀を行った最重要エリア
中のムラの右手には、北内郭が見えます。
北内郭には,当時のまつりごとに大きく関わる人々がいたとされる巨大な祭殿など9棟の建物が復元されています。クニの重要な決め事や祭祀はここで行われていたと考えられ,吉野ヶ里遺跡の中でも最も重要なエリアと言えるでしょう。主祭殿は吉野ヶ里最大の建物で、内部には王や巫女の様子が再現されています。

甕棺墓列:静かに眠る古代の人々
北内郭と北墳丘墓の間には,甕棺墓列があります。
甕棺(かめかん)と呼ばれる甕を棺として使用した墓が並ぶ様子は,当時の埋葬の様子を知る貴重な手がかりとなります。

北墳丘墓:歴代の王たちが眠る場所
北墳丘墓は、吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別な墓と考えられています。
外観は芝生の丘のようですが,内部では発掘調査当時の状況がそのまま保存されており,約2100年前の本物の14基の甕棺や出土品レプリカ甕棺が展示されています。見学路には墳丘墓や甕棺および発掘調査に関する説明や展示があります。

未開園エリア:発掘調査が語る歴史の重層
北墳丘墓の西側から北側にかけて広がる未開園エリアでは,現在も発掘調査が精力的に進められています。このエリアは,弥生時代の人々の暮らしだけでなく,その後の時代の歴史も刻まれた場所です。
かつてこの場所には田手日吉神社がありました。
この神社敷地内を含めた一帯は,戦国時代には「日吉城」と推定される山城跡でもあります。この地で繰り広げられた田手畷の戦い(たでなわてのたたかい)は,1530年(享禄3年),北部九州の覇権をめぐり,周防国の大名大内氏と肥前国の大名少弐氏の間で起きた激しい戦いです。この戦いは,吉野ヶ里の地が古来より戦略的に重要な場所であったことを示しています。
1874年(明治7年)には,江藤新平・島義勇らをリーダーとして佐賀で起こった明治政府に対する士族反乱の一つである佐賀の乱(さがのらん)が起こりました。寒津川・田手川の戦いなどがこのエリアで展開されました。不平士族による初の大規模反乱であった佐賀の乱は,新政府の迅速な対応によって鎮圧されましたが,この地が日本の近代史においても登場しています。
田手日吉神社は,2022年(令和4年)に北墳丘墓の東側へ鳥居や鈴などが移設され,遷座されました。
古代の原ゾーン:広大な芝生で思いっきり遊ぼう!
古代の原ソーンは,約20ヘクタールの広さを誇り,物見櫓風の大型遊具や芝生広場,野外炊事コーナー などが充実。思いっきり体を動かしたり,バーベキューを楽しんだりと,レクリエーションに最適なエリアです。また,古代米(赤米)を栽培する水田もあり,弥生時代の農業文化にも触れることができます。広々とした芝生広場でお弁当を広げて,ピクニックを楽しむのはいかがでしょうか。
さらに,2025年には,アウトドアブランド「スノーピーク」との連携による体験型複合リゾート が開業予定(スノーピーク社のプレスリリース)。直営キャンプフィールドに加え,キャンプギアやアパレルを扱うショップ,宿泊施設,飲食エリアも併設されます。吉野ヶ里歴史公園の新たな魅力が加わります。

出典:https://www.snowpeak.co.jp/news/p20231121/
古代の森ゾーン:弥生時代の森を再現!
古代の森ゾーンは,弥生時代の森を再現したエリアで,約12ヘクタールの広大な敷地に、四季折々の植物や野鳥が生息しています。森の中を散策しながら,当時の人々がどのように自然と共生していたのかを学べる,歴史と自然が融合したエリアです。古代植物の森,甕棺墓列,古代の森体験館などの見どころがあり、大人から子供まで楽しめます。
古代の森は、ダム建設により水没予定だった樹林を,草木や土壌生物を含む表土ごと移植する「生態移植工法」によって作られました。この技術によって,弥生時代の森が忠実に再現されているのです。表土を移植することで,植物にとってより良い環境が作られています。
吉野ヶ里遺跡から発掘された約3000基の甕棺墓のうち,約1000基がこの古代の森から発見されました。ここでは,発掘された甕棺墓の一部を復元・展示しており,当時の埋葬方法や死生観に触れることができます。全長300メートルに及ぶ墓列は圧巻です。
古代の森ゾーンのほぼ中央にある古代の森体験館では,弥生時代の森と人々の関わりをテーマにした展示を見学できます。植物資料の展示や,植物を使った体験プログラム(要予約)も行われています。休憩スペースや園内移動バスの発着所としても利用できます。
古代の森ゾーンの南側には,奈良時代に大宰府と肥前国府を結ぶ官道が東西に走っていました。丘陵部は大規模に切り通されており,一直線の道が通されていました。また、官道近くからは,役所のような建物跡や井戸枠,墨書きされた木簡も出土しており,当時の様子をうかがい知ることができます。
吉野ヶ里遺跡へのアクセス
吉野ヶ里遺跡は,佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがって位置しています。
自動車でのアクセス
吉野ヶ里歴史公園に一番近い高速道路のインターチェンジは,長崎自動車道の東背振インターチェンジです。東背振インターチェンジから吉野ヶ里歴史公園までは,約3.5kmです。
福岡市中心部からは,福岡都市高速で太宰府インターチェンジから九州自動車道に乗り,鳥栖ジャンクションから長崎自動車道に入り,東背振インターチェンジで降ります。福岡市中心部から吉野ヶ里歴史公園まで約50kmです。
佐賀市中心部からは約12kmです。
佐世保方面からは,西九州道で武雄ジャンクションから長崎道に入り,東背振インターチェンジで降ります。佐世保市中心部から吉野ヶ里歴史公園まで約82kmです。
長崎方面からは,長崎道に乗り東背振インターチェンジで降ります。長崎市中心部から吉野ヶ里歴史公園まで約115kmです。
吉野ヶ里歴史公園の駐車場は,東口,西口,北口の3ヶ所あります。東口が正面入口になりますので,東口の駐車場を利用することをおすすめします。駐車料金は普通車は310円です。
レンタカーは,吉野ヶ里公園駅には店舗がありませんので,福岡,佐賀,佐世保,長崎など拠点となる駅や空港などで借りるのがいいと思います。エアトリで借りられるレンタカーの格安料金を比較し,予約できます。
鉄道でのアクセス
吉野ヶ里遺跡の最寄駅は,JR長崎本線のJR吉野ヶ里公園駅です。JR吉野ヶ里公園駅には,JR九州の特急「みどり」と特急「ハウステンボス」の一部列車が停車します。
福岡方面からは,特急「みどり」と特急「ハウステンボス」で,博多駅から吉野ヶ里公園駅まで約36分です。吉野ヶ里公園駅に停車する特急は非常に少ないので,鳥栖駅で乗り換えることが多いと思います。
大分や熊本方面からも,鳥栖駅または新鳥栖駅で乗り換えです。鳥栖駅から吉野ヶ里公園駅までは,各駅停車で約15分です。
佐世保方面からは,特急「みどり」と特急「ハウステンボス」で,佐世保駅からは約1時間19分です。佐賀駅から吉野ヶ里公園駅までは,各駅停車で約11分です。
長崎方面からは,西九州新幹線で武雄温泉駅乗り換えです。武雄温泉駅から吉野ヶ里公園駅までは,各駅停車で約57分です。
JRの新幹線や特急のチケットを自宅や職場まで届けてくれる、「とどきっぷ」というサービスがあります。駅の窓口や自販機で並ぶ必要もありませんし、近くにみどりの窓口があるJRの駅がない人にも、便利なサービスですよ。

飛行機でのアクセス
吉野ヶ里遺跡には,九州佐賀国際空港が最も近いですが,福岡空港が便利です。
九州佐賀国際空港には,ANAが東京羽田空港との間を就航しています。JALは就航していません。
福岡空港には,日本各地から多くの便が就航しています。
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吉野ヶ里遺跡を訪ねるための宿泊地
吉野ヶ里遺跡周辺には,宿泊施設は少ないので,近いところでは,佐賀市中心部がいいと思います。
一般的には,福岡,佐賀,佐世保,長崎など拠点となる街で宿泊するのが便利だと思います。多数あるので旅のスタイルに応じて選べばいいと思います。
せっかくの旅行、宿泊先にもこだわりたいですよね。でも、たくさんのホテルや旅館があって、どこを選べばいいか分からない…という方もいるのではないでしょうか?
そこで、旅の疲れを癒し思い出をさらに豊かにしてくれるとっておきの宿を、お得に予約する方法をご紹介します。
宿泊予約サイトを活用しよう!
まずは、定番の宿泊予約サイトをチェックしてみましょう。
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クレジットカードを利用すれば、クレジットカードのポイントも貯まって、ポイントの三重取りが可能です。利用しない手はありません。
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貯めたポイントは、現金、共通ポイント、電子マネー、航空会社のマイルなどに交換することができます。つまり、宿泊料金がお得になるだけでなく、ポイントも貯まって、次の旅行に役立つというわけです。
ポイントサイトを使った宿泊予約とポイント獲得までの流れ
以下の流れで、簡単にポイントを貯めることができます。
- ポイントサイトに登録(無料!)
- ポイントサイト経由で楽天トラベルやじゃらんなどの宿泊予約サイトにアクセス
- 通常通り予約を完了
- 宿泊施設に宿泊
- ポイントを獲得
- 獲得したポイントを現金やマイルなどに交換
おすすめのポイントサイトはモッピー!
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吉野ヶ里遺跡を訪ねる旅で楽しみたい食事
福岡県に本拠があり九州北部を中心に100店舗以上を展開するうどん店「ウエスト」が,JR吉野ヶ里公園駅近くの国道34号線沿いに三田川店があります。「ウエスト」のうどんは,やわらかいけどコシがある独自の麺と昆布や鰹節など厳選素材をブレンドしたこだわりの出汁の組み合わせが絶妙な福岡うどんの代表格です。
メニューも豊富で,丼ものや定食などのほか,天ぷらやおにぎりなどのサイドメニューも豊富で,季節限定メニューやオリジナルの創作うどんも楽しめます。
定番は,ごぼう天うどん。カリカリに揚げた細切りごぼう天がたっぷり乗っていて,出汁を吸っていく過程も楽しめます。ゆず胡椒が提供されるので,途中で味変するのも楽しいです。
「ウエスト」は,こだわりのうどんをリーズナブルな価格で楽しめる,地元民に愛されるうどん店です。ぜひ一度立ち寄ってみてください。

吉野ヶ里遺跡を含めた旅行プランの作り方
ルート作成の考え方
吉野ヶ里遺跡を巡るための所要時間は,3時間程度は確保しておきましょう。
吉野ヶ里遺跡を含めたルートとしては,吉野ヶ里遺跡の前後にどこに寄るか,がポイントとなります。
ルート例①:古代の北部九州を巡る旅
吉野ヶ里遺跡を中心に,邪馬台国九州説に関連するスポットを含めた古代日本の歴史ロマンあふれる,福岡・佐賀を巡る充実の旅です。日本古代史の魅力をたっぷりと味わいましょう!
各施設の開館時間やイベント情報などを事前に確認しておきましょう。
このルートはあくまで一例です。各地からアクセスしやすい福岡市を起点としたルートにしていますが,長崎や熊本を起点にすることも可能です。興味や体力,旅行期間,交通手段(公共交通機関なのか,レンタカーを含めた自動車なのか)などに合わせて,自由にアレンジしてみてください。
1日目:太宰府&福岡エリア :古代九州の位置づけを学ぶ
古代から九州の政治・文化の中心地であった太宰府を訪ねます。
福岡市中心部からは,西鉄電車が便利です。西鉄福岡(天神)駅から,西鉄天神大牟田線・特急/急行で約15分の西鉄二日市駅で太宰府線に乗り換え約5分で太宰府駅です。乗り換え時間を含め,西鉄福岡(天神)駅から太宰府駅まで約30分~40分です。太宰府駅から太宰府天満宮までは土産物店や飲食店が並ぶ参道を歩いて,三の鳥居まで約350mです。
自動車の場合は,福岡都市高速の天神北インターチェンジから太宰府インターチェンジまで約15kmで,インターチェンジを降りて約5kmで太宰府天満宮です。太宰府天満宮周辺に有料駐車場が多数あります(500円~)。混雑時は臨時駐車場や太宰府市役所駐車場も利用可能です。九州国立博物館の駐車場もあります(普通車500円)。
参道周辺には飲食店が多数ありますので,ランチのお店を探しておいたり,時間によっては先にランチを楽しんでもいいでしょう。

まずは,太宰府天満宮に参拝しましょう(約1時間)。学問の神様,菅原道真公を祀る神社である天満宮の総本宮です。
太宰府天満宮では,2023年(令和5年)5月から約3年をかけ,令和の大改修として,124年ぶりに本殿の大改修を行っています。改修期間は本殿前に仮殿が建設されています。設計は,藤本壮介建築設計事務所です。約3年間だけの特別な仮殿ですので,この機に訪ねてみてはどうでしょうか。

次に,太宰府天満宮に隣接する九州国立博物館(約2時間~3時間)を訪ねます。日本の文化形成をアジア史的な視点から捉えた展示は,見応えがあります。特に,弥生時代の展示は,吉野ヶ里遺跡を訪ねるにあたって,知識を深めるのに役立ちます。国宝級の遺物や中国・朝鮮半島との交流の歴史を知ることで,弥生時代の国際性にも触れられます。 邪馬台国や倭人に関する展示にも注目してみましょう。

福岡市中心部に戻り,時間があれば,福岡市博物館(約1時間)を訪ねましょう。福岡市博物館には,弥生時代後期である西暦57年に,中国の皇帝光武が,倭奴国王に贈ったとされている「漢委奴国王」の金印が展示されています。
当ブログでは,「福岡市博物館。国宝「漢委奴国王」の金印。古代の福岡に思いをはせる旅」のガイドとプランの記事で詳しく説明しています。よろしければ,そちらもどうぞ。
福岡市中心部に宿泊施設はたくさんあります。旅のスタイルに合わせて選択しましょう。福岡には美味しい食べ物がたくさんあります。ディナーもお好みに応じて楽しみましょう。

2日目:吉野ヶ里遺跡 - 邪馬台国の候補地を歩く
2日目は吉野ヶ里遺跡を満喫しましょう。ランチも含め,たっぷりと時間を確保できます。
吉野ヶ里公園を訪ねた後は,福岡に戻ってもいいですし,長崎や熊本など次の旅先に向かうのもいいでしょう。予算や日程,交通手段などに応じて,自在にアレンジしてみてください。

ルート例②:筑後・佐賀平野の歴史と文化を巡る旅
吉野ヶ里遺跡を中心に,筑後川流域や有明海沿岸の歴史的スポットを巡る旅です。古代から近代まで,筑後・佐賀平野の文化や技術の発展を感じられるルートです。
レンタカーを利用することで,効率よく各スポットを巡ることができます。公共交通機関の場合は,事前に時刻表や乗り継ぎなどをよくご確認ください。
このルートはあくまで一例です。各地からアクセスしやすい福岡市を起点としたルートにしています。長崎や熊本を起点にする際には,訪問順を入れ替えるなど工夫しましょう。興味や旅行期間,移動手段に合わせて,自由にアレンジしてみてください。
1日目:佐賀エリア
まず,吉野ヶ里歴史公園を訪ねましょう。午前中は,吉野ヶ里歴史公園で,吉野ヶ里遺跡をしっかり楽しみましょう。
午後は,佐賀駅に向かい,宿に荷物を置いて,佐賀城に向かいましょう。
佐賀県佐賀市にある佐賀城は、江戸時代に佐賀藩鍋島氏36万石の居城として栄えた平城です。現在は,本丸の一部が復元され,佐賀城本丸歴史館として公開されています。佐賀藩の歴史や幕末・明治維新期の役割を学べる施設として人気を集めています。
本丸の正門である鯱の門とそれに続く続櫓は国の重要文化財に指定されています。白漆喰の壁と重厚な造りが印象的です。1874年(明治7年)に江藤新平が起こした「佐賀の役」の弾痕が門や扉に残っており,戦闘の激しさが分かります。
精巧に復元された本丸御殿の一部を使い降嫁されている佐賀城本丸歴史館には,幕末期に佐賀藩が誇った最新鋭の火砲技術や,西洋文化の受容についての展示があり,歴史ファンには見逃せないスポットです。

出典:佐賀県公式観光サイト あそぼーさが https://www.asobo-saga.jp/spots/detail/3ba35d6b-e0ca-4ccc-8b4b-b2a1e5f69907
2日目:筑後エリア
まずは,「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」に向かいましょう。
佐賀駅から約9kmです。無料駐車場があります。公共交通機関の場合は,JR佐賀駅バスセンターから,佐賀市営バスの諸富・早津江線で約30分の「佐野・三重津歴史館入口」バス停下車後,約600mです。
佐賀県佐賀市にある三重津海軍所跡は,日本の近代化に大きく貢献した重要な場所です。佐賀藩は,幕末の1858年(安政4年),外国からの脅威に対抗するため,西洋式の海軍建設を目指し,この地に海軍所を開設しました。1865年(元治元年)には,日本初の実用蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」を建造しました。船の修理・点検のために使われた,日本最古の実用ドライドックの跡が残っています。2015年(平成27年)に,「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として世界文化遺産に登録されました。
佐野常民(さのつねたみ:1822(文政5)年 - 1902(明治35)年)は,幕末から明治にかけて活躍した佐賀藩士で佐賀の七賢人(さがのしちけんじん)の一人です。佐賀藩の洋式造船・海軍力強化に尽力し,三重津海軍所の監督を一時務めるなど建設と運営に深く関与しました。佐賀藩は屈指の近代海軍力を持つ藩となりました。
佐野常民や大給恒(おぎゅう ゆずる)らは,西南戦争(1877年(明治10年))に際し,戦傷者の救護活動を行うため博愛社を設立。これは日本初の人道支援組織であり,1886年(明治19年)に日本政府がジュネーヴ条約に調印・批准したことをうけ,翌1887年(明治20年)に日本赤十字社と改称しました。佐野常民は,初代社長に就任しました。
当ブログでは,「龍岡城。日本にもうひとつある五稜郭を訪ねる旅」の記事を掲載しています。佐野常民とともに,のちに日本赤十字社となる博愛社を設立した,大給恒(おぎゅうゆずる)は,明治維新後に改名した名前で,改名前は,奥殿藩の第8代藩主・松平乗謨(まつだいらのりかた)で,龍岡城五稜郭を築城しています。龍岡城には,「日本赤十字社をつくり育てた人」として松平乗謨の銅像が建てられています。よろしければ,そちらもどうぞ。
次に,筑後川昇開橋を訪れます。
佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館から約3kmです。公共交通機関の場合は,佐賀市営バス諸富・早津江線で「佐野・三重津歴史館入口」バス停から,佐賀駅バスセンター方面に戻り「昇開橋前」バス停下車後,約350mです。福岡県側からは,西鉄柳川駅から西鉄バスの佐賀駅バスセンター行きで約25分で「大川橋」バス停から約700mですので,公共交通機関の場合は,昇開橋を渡って,大川橋バス停から柳川方面に向かうこともできます。
筑後川は,このあたりでは,福岡県と佐賀県の県境となっています。右岸(佐賀県側)は特産物直売所「橋の駅ドロンパ」が,左岸(福岡県側)には「大川TERRAZZA(大川テラッツァ(大川市観光・インテリア情報ステーション))」があります。両岸とも無料の駐車場があります。
筑後川昇開橋は,佐賀県佐賀市と福岡県大川市を結んでおり,国鉄佐賀線の鉄道橋として1935年(昭和10年)竣工された日本最長の昇開式可動橋(全長約507m)で,日本に現存する唯一の昇開式可動橋です。公益財団法人 筑後川昇開橋観光財団が管理しています。
船舶が航行できるよう,橋梁中央部にある,高さ30mの2つの鉄塔に挟まれた部分が23mの高さまで上昇し,大型船が通過できるようになります。そのダイナミックな光景は一見の価値があります。
現在は,歩行者専用橋として無料開放され,国の重要文化財にも指定されています。バイクやペット連れは,通行できません。自転車は降りて押して通行することになります。注意ください。
筑後川の雄大な流れと,朱色の橋梁のコントラストが美しい景観を作り出しています。夕暮れ時には赤く染まる空と橋のシルエットが美しい絶景スポットとなります。さらにロマンチックな雰囲気を楽しめます。
- 休業日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日),12月29日~1月3日
- 昇開橋の可動時間:9時~16時30分
- 遊歩道の開放時間:9時~21時(3月~11月),9時~17時(12月~2月)
- ライトアップ時間:日没~22時に点灯

出典:佐賀県公式観光サイト あそぼーさが https://www.asobo-saga.jp/spots/detail/4f871ae3-8b1c-47a7-a7ed-1fa3e05f7a02
午後は,柳川を訪問しましょう。福岡県南部にある柳川は,市内には網の目のように美しい掘割(運河)が張り巡らされている,水郷の町として有名です。
筑後川昇開橋から,西鉄柳川駅まで,約8.5kmです。福岡市や熊本市から直接柳川に向かう場合は,九州自動車道のみやま柳川インターチェンジで降りて柳川市街の駐車場に駐めましょう。市営駐車場があります。川下りを楽しむ場合は無料駐車場を提供している運行会社もあります。
公共交通機関の場合は西鉄柳川駅からスタートです。西鉄福岡(天神)駅など西鉄沿線から往復するのなら,西鉄の柳川特盛きっぷを利用するのもいいでしょう。
柳川観光のメインは「川下り(お堀りめぐり)」。船頭が櫓を操るどんこ舟に乗り,案内を聞きながら,ゆったりと掘割を進みます。柳並木や歴史的な町並みを眺めながらのんびりした時間を楽しめます。四季折々の風景を楽しむことができ,特に春の桜並木は圧巻です。川下りは,数社が運行しており,コースや乗船場・下船場が異なります。事前に確認しておくのがおすすめです。

出典:福岡県観光WEB クロスロードふくおか https://www.crossroadfukuoka.jp/feature/yanagawa-kawakudari
ランチには,柳川グルメの代表といえば特産品である鰻を使った「うなぎのせいろ蒸し」がおすすめです。秘伝のタレが染み込んだご飯とふっくらした鰻の絶妙な味わいを堪能できます。
柳川は江戸時代の城下町であり、歴史的な建造物や文化財が数多く残っています。柳川藩主の別邸であった松濤園や、詩人・北原白秋の生家・記念館などがあります。
当ブログでは,「天草・﨑津集落を訪ねる,潜伏キリシタンの祈りと絶景に出会う旅」のガイドとプランの記事で,与謝野寛,北原白秋,平野萬里,太田正雄(木下杢太郎),吉井勇の5人が,南蛮文化に憧れ九州を旅する「五足の靴」という紀行文に触れています。よろしければ,そちらもどうぞ。
時間に余裕があれば,久留米市にある久留米水天宮に寄ってみてはどうでしょうか。
福岡県久留米市にある久留米水天宮は,全国の水天宮の総本宮として知られる神社です。
久留米水天宮は,筑後川沿いに建っており,JR久留米駅から約700mです。西鉄久留米駅からはバスで約10分でJR久留米駅で,その後徒歩です。無料の駐車場があります。
水天宮の創建は1190年(建久元年)です。1185年(元暦2年)の壇ノ浦の戦いで平家が敗れた後,女官の按察使局伊勢(あぜちのつぼね いせ)が筑後川のほとりで祀ったのが始まりと伝えられます。その後,1650年(慶安3年)に久留米藩第2代藩主・有馬忠頼によって現在の地に遷座しました。
東京の水天宮が有名ですが,そのルーツはここ久留米水天宮にあります。1818年(文政元年)久留米藩第9代藩主・有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請しました。これが江戸の水天宮の始まりです。
久留米水天宮では、以下の神々が祀られています。古くから水の神として漁業・海運の守護神として信仰され、また安産・子授けの神様としても広く信仰されています。元チェッカーズのリードボーカルの藤井フミヤが結婚式を挙げた神社としても知られています。
久留米水天宮の御神紋は,安徳天皇と玉江姫の伝説に由来した椿の花で,本殿の周囲には18種ものツバキが植えられています。
- 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ):宇宙の根源神
- 安徳天皇:平家一門の悲運の天皇
- 高倉平中宮(建礼門院・平徳子):安徳天皇の母
- 二位の尼(平時子):安徳天皇の祖母

柳川や久留米から,福岡に戻ります。熊本方面に向かうこともできます。次の旅先に向けて,いろいろとアレンジしてみてください。
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吉野ヶ里遺跡を旅するための基礎データ,オススメのガイドブック
吉野ヶ里遺跡を旅するための基礎データ
吉野ヶ里遺跡を含む吉野ヶ里歴史公園の基礎データは以下です。
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 吉野ヶ里歴史公園 |
郵便番号 | 842-0035 |
住所 | 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843 |
電話番号 | 0952-55-9333 |
公式ウェブサイト | https://www.yoshinogari.jp/ |
吉野ヶ里遺跡を旅するためのオススメのガイドブック
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- JTB時刻表(鉄道旅行者の必携アイテム)
- るるぶの由来:「見る」「食べる」「遊ぶ」の最後の文字をつなげたネーミング。観光・グルメ・アクティビティがバランスよく掲載されているのが魅力です。
まとめ
- 吉野ヶ里遺跡は,大規模な環濠集落や高床倉庫群など、当時の様子が再現された展示物を見学できる,弥生時代の息吹を感じるスポットです。
- 吉野ヶ里遺跡を含む吉野ヶ里歴史公園は,自然豊かな公園で,広大な敷地内には四季折々の花が咲き、ピクニックや散策にも最適です。火おこしや土器作りなど,弥生時代の生活を体験できるプログラムもあります。
- ぜひ吉野ヶ里遺跡を訪れて、古代史のロマンに触れてみてください。
吉野ヶ里遺跡の巡り方と吉野ヶ里遺跡の周辺の見どころを案内し,吉野ヶ里遺跡を含めた旅行プランの作り方を説明しました。
旅する際には,最新の情報を確認しましょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。良い旅を!