旅のガイドとプラン

【福岡市博物館、志賀島】金印とは?どこにある?国宝「漢委奴国王」印を巡る旅。見どころと旅行プランの作り方をプロが詳しく解説!

当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
金印

金印がある福岡市博物館金印が発見された志賀島に行ってみたいけど、見どころは何だろう?
福岡市まで行くのなら、周辺の観光地も合わせてまわってみたいけど、どのように旅行プランを作ればいいのか分からない。

困っている人
野兎八兵衛

野兎八兵衛(のうさぎ はちべえ)です。国家資格「総合旅行業務取扱管理者」を持つ旅行のプロが、福岡市博物館志賀島とその周辺の見どころを案内し、福岡市博物館志賀島を含めた旅行プランの作り方を説明します。

この記事で「金印(福岡市博物館・志賀島)」の旅が分かる

  • 福岡県福岡市の福岡市博物館にある「金印(漢委奴国王印)」は、教科書で誰もが一度は目にしたことのある、日本で最も有名な国宝の一つです。
  • 福岡市博物館で実物の輝きと対面し、発見の地・志賀島を巡る、初めての方でも安心の王道モデルコースを案内します。
  • 旅の感動が深まる、金印に秘められた古代外交のドラマや出土の謎など、金印の魅力を詳しく説明しています。知ってから訪れると、より深く楽しむことができます。
  • 福岡市博物館や志賀島へのアクセス方法やご当地グルメなど、旅の計画に欠かせない実用情報を網羅しています。
  • 伊都国・奴国・太宰府を巡る歴史探訪や、百道浜の散策など周辺エリアまで満喫できる、具体的な旅行プラン例をプロが提案します。あなただけの旅行プランを作れるようになります。

歴史ロマンと現代の輝きが交差する福岡の旅へ――国宝「金印」を訪ねてみませんか?



旅先でも安全ネット接続。VPNは現代の旅の必需品。今すぐチェック!
affiliate-nord-vpn-saily-2025-campaign-ja
30日間返金保証、440円/月~でコスパ抜群



金印(福岡市博物館、志賀島)の3つの魅力と基本情報

金印の魅力

「金印」と聞くと、多くの人が「教科書で見た国宝」という記憶を思い浮かべるでしょう。しかし、その本当の魅力は、ただ「有名」であることだけにとどまりません。福岡の現地を訪れてこそ初めて、それが単なる歴史資料ではなく、古代日本と大陸との出会いを肌で感じさせてくれる「歴史ロマンの塊」なのだと気づかされます。

歴史的価値:金印「漢委奴国王」が証明する2000年前の“国際交流”金印「漢委奴国王」:古代日本と中国の交流を物語る国宝

金印の最大の魅力は、古代日本と中国の“正式な交流”を証明する、唯一無二の歴史的価値です。紀元57年、後漢の光武帝が倭の一国「奴国(なこく)」の王に授けた『後漢書』に記され、それが「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印です。この印文は「漢が倭の中の奴国の王を認める」という意味で、弥生時代の日本列島の一部がすでに中国王朝と外交関係を結んでいたことを示しています。

弥生時代は、日本列島で本格的な農耕文化が始まった時代で、紀元前10世紀頃(または紀元前9~8世紀)から紀元後3世紀中頃までとされ、その後は古墳時代に移行していきます。早期(紀元前10世紀頃~紀元前5世紀頃)、前期(紀元前5世紀頃~紀元前2世紀頃)、中期(紀元前2世紀頃~紀元後1世紀頃)、後期(紀元後1世紀頃~紀元後3世紀頃)に区分されています。

紀元57年は弥生時代中期から後期にかかる頃で、倭(日本)は統一されておらず、多くの小国がひしめき合っていました。そうした小国の1つが奴国(なこく)です。

教科書で写真だけ見た人も、福岡市博物館で実物を目にすれば、その輝きと精緻な造形に圧倒され、歴史の教科書が現実の出来事として立ち上がる感覚を味わえるでしょう。金印はまさに、古代の日本と大陸との交流のロマンをいまに伝える国宝です。

福岡市博物館:実物を間近に見られる感動体験

金印を訪ねる旅のハイライトは、何と言っても福岡市博物館でその「実物」を鑑賞し、本物だけが放つオーラに触れられる感動体験にあります。国宝・金印「漢委奴国王」は現在、同館の常設展示室に収められており、95%以上が純金というその輝きと緻密な造形を、ガラス越しにじっくり堪能できます。

教科書や資料集の写真で知っている金印と、実物とでは、その印象がまったく異なります。実物の大きさは一辺わずか2.3cm、高さ2.2cmほど。指先ほどの小さな印面に、蛇をかたどったつまみ(蛇鈕:だちゅう)と、力強い「漢委奴国王」の五文字が刻まれています。写真では決して伝わらない「想像を超える小ささ」と、それに反する「圧倒的な存在感」。この強烈なギャップこそが、見る者を感動させる源です。

多くの来場者が、その小ささにまず驚き、次にその緻密な美しさと本物だけが持つ歴史の重みに息を呑みます。福岡市博物館では、旅先で「本物に出会う感動」を求めるすべての人に強くおすすめしたい、教科書で得た知識が立体的に結びつき「歴史の実感」として心に刻まれる体験ができます。

志賀島:偶然発見された歴史ロマンあふれる場所

金印が見つかった志賀島は、まさに「歴史ロマンが息づく地」です。現在、その発見地には「金印公園」が整備され、「漢委奴國王金印発光之処」と刻まれた石碑が立ち、訪れる人々を迎えます。ほかにも古代の地図や詩碑が並び、公園の展望台からは、かつて金印が渡ってきたであろう玄界灘の海を一望できます。

この国宝は、専門家による発掘調査ではなく、江戸時代に一人の農民が偶然発見したという奇跡の物語を持っています。1784年(天明4年)、農民・甚兵衛が志賀島で仕事中に、石の下から金色に輝く小さな印章を見つけました。これが、古代日本と中国の交流を物語る国宝「漢委奴国王印」だったのです。

志賀島は、当時の発見者の驚きや喜びに思いを馳せながら、偶然がもたらした奇跡の発見を追体験できる場所として、古代と現代が繋がる特別な感覚を味わえます。

金印の基本情報

福岡市博物館

項目内容
名称福岡市博物館
郵便番号814-0001
住所福岡市早良区百道浜3丁目1-1
電話番号092-845-5011
開館時間9時30分〜17時30分(入館は17時まで)
休館日毎週月曜日(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※年末年始の休館日は12月28日(日)~1月5日(月)まで
入館料一般:200円、高大生:150円
駐車場有(無料 大型バス10台、普通車130台)
最寄駅福岡市営地下鉄「西新駅」から約1km(徒歩約15分)
公式サイト福岡市博物館
公式X (旧twitter)https://twitter.com/fukuokaC_museum
福岡市博物館の基本情報

志賀島(金印公園)

項目内容
名称金印公園
郵便番号811-0323
住所福岡県福岡市東区志賀島字古戸1865
電話番号092-645-1058(福岡市東区役所)
駐車場有(無料 数台)
最寄駅 JR香椎線 「西戸崎駅」から西鉄バス「金印塚」バス停下車すぐ
金印公園の基本情報

モデルコースと見どころ深掘りガイド

これだけは押さえたい!福岡市博物館と志賀島を訪ねる、金印をめぐる王道モデルコース(所要時間:約5〜7時間)

午前中に福岡市博物館で本物の金印を鑑賞し、その後志賀島の金印公園を訪ねるコースです。それぞれの周辺にも見どころが多いので、興味に応じて楽しむことができます。

  1. 福岡市博物館
  2. 志賀島(金印公園)

見どころを深掘り解説

福岡市博物館で「国宝・金印」の実物と対面(60分~90分)

この王道モデルコースは、まず旅の最大のハイライトである国宝・金印の実物と対面できる「福岡市博物館」からスタートします。ここは、古代日本と大陸との交流を今に伝える“歴史ロマンの入口”ともいえる場所。最大の魅力は、教科書でしか知らなかった金印を、実際に自分の目で確かめられることです。

展示室に足を踏み入れると、金印は特別な照明のもとに静かに輝いています。その一辺わずか2.3cmほどの純金の印面には「漢委奴国王」の五文字が刻まれ、上部には蛇をかたどった「蛇鈕(だちゅう)」が彫られています。その精巧な造形と輝きは、まさに“本物の力”を感じさせてくれます。

「本物」に触れて知識と感動を最高潮に高めること。これが、この後の“発見の地”である志賀島訪問への期待感を何倍にも膨ませてくれます。 見学後は1階のミュージ​​アムショップでレプリカなどのお土産をチェック。

福岡市博物館
福岡市博物館

福岡市博物館から志賀島(金印公園)へのアクセス

博物館で「実物」の感動を味わった後は、いよいよ金印が「発見」された地、志賀島(金印公園)へ、ランチを兼ねて移動します。

博物館から志賀島までは直線距離で北北西約9kmですが、博多湾を挟んでほぼ正反対の位置関係にあります。そのため、陸路(車やJR)でぐるっと湾を回るか、海路(船)で湾をショートカットするかの選択になり、どちらにせよ移動時間はしっかり確保する必要があります。移動をスムーズに進めるためにも、旅程に合わせた最適な行き方を選ぶことが大切です。

志賀島へは車でも公共交通機関でもアクセス可能で、それぞれに魅力があります。特に公共交通を利用する場合は、地下鉄やJR、西鉄バス、市営渡船など複数のルートがあり、「早さ」「快適さ」「旅情」「コスト」など何を優先するかに応じて、面白いくらいに多様なルートがあり、あなたの旅の好みに合わせて選択できます。ランチスポットも途中に点在しているため、移動とあわせて「どこで食べるか」を考えると、より充実した移動になります。

ここでは、あなたのプランに最適なルートが見つかるよう、主要な4つのアクセス方法を紹介します。

車の場合:最短で快適、絶景ドライブ(所要:約30〜50分)

福岡市博物館から志賀島(金印公園)へ向かうルートの中で、最も早く、時間が読みやすいのが車でのアクセスです。百道(ももち)エリアから都市高速へ入り、一気に海の中道方面へ抜けるため、ストレスのない移動ができます。公共交通機関のように乗り継ぎ時間を気にする必要がありませんが、時間帯によっては都市高速が渋滞することもあるので、注意が必要です。

博物館を出発したら、福岡都市高速「百道ランプ」から乗り、アイランドシティ線を経由して終点「アイランドシティランプ」で下ります。そこから海の中道大橋を渡ると絶景ドライブの始まりです。片側に玄界灘の青い海を眺めながら砂州(さす)の上を走る一本道の区間は開放感が抜群で、「福岡で最も気持ちいい海沿いドライブ」と評されることもあります。

志賀島へ入ったら時計回りに進むと金印公園に到着。車なら時間に応じて潮見公園(展望台)志賀海神社へ寄り道することもでき、島全体を楽しむ余裕が生まれます。景色と移動を同時に満喫したい人には、最適のルートと言えるでしょう。

【ルートまとめ】

  1. 福岡市博物館 → 都市高速「百道ランプ」
  2. 都市高速アイランドシティ線 → 「アイランドシティランプ」出口
  3. 海の中道大橋を渡り、海の中道をドライブ
  4. 志賀島に入ったら時計回りで金印公園へ
地下鉄+JR+バス:迷わず行ける“安定感”のある公共交通ルート(所要:約60〜80分)

公共交通機関だけで移動したい方には、地下鉄・JR・西鉄バスを乗り継ぐ安定感のあるルートが最も確実です。多少時間はかかりますが、天候の影響を受けにくく、福岡市内から志賀島まで迷いにくいのが利点です。「船は揺れるから苦手」という方にもおすすめです。

まず、博物館最寄りの「西新駅」から地下鉄空港線に乗り、JRへ乗り換えるために「博多駅」へ向かいます。その後、JR 鹿児島本線で香椎駅へ。香椎駅からはJR香椎線に乗り換え、終点「西戸崎(さいとざき)駅」まで約20分のローカル鉄道の旅を楽しめます。

このルートの隠れた魅力は、JR香椎線を走る「DENCHA(デンチャ)」です。架線(電線)がない区間をバッテリーで走る珍しい蓄電池電車で、静かで快適な乗り心地を楽しめます。

西戸崎駅前からは、海沿いを走る西鉄バスで「金印塚」バス停へ。バスの本数は多くありませんが、時刻を合わせて乗り継げば、乗り換え自体は比較的スムーズです。

海辺の景色を眺めながら鉄道とバスを乗り継ぐ、公共交通だけで行くゆったり旅としても魅力的なルートです。

【ルートまとめ】

  1. 西新駅 → 地下鉄空港線 → 博多駅
  2. 博多駅 → JR鹿児島本線 → 香椎駅 → JR香椎線 → 西戸崎駅
  3. 西戸崎駅前バス停 → 西鉄バス「金印塚」下車
船(福岡市営渡船):博多湾クルーズ気分の快適ルート(所要:約70分〜90分)

港町・福岡ならではの移動手段としておすすめなのが、福岡市営渡船を使ったプチクルーズルートです。博多港から志賀島まで約30分、揺れも少なく快適な船旅が楽しめます。

まず、博物館最寄りの「西新駅」から地下鉄空港線に乗り、天神駅へ。天神駅からバスで博多ふ頭(ベイサイドプレイス)へ。博多ふ頭から市営渡船に乗り、博多湾を横断する爽快な船旅が始まります。渋滞知らずで、春〜秋は特に風が心地よく、乗っているだけで旅気分が高まります。時間によっては、選択肢の多い天神エリアでランチを楽しむこともできます。

志賀島港に到着したら、港前のバス停から西鉄バスに乗り、「金印塚」で下車すれば目的地はすぐ近く。博多湾の景色をまるごと味わえる、移動そのものが楽しいタイプのルートです。

【ルートまとめ】

  1. 西新駅 → 地下鉄空港線 → 天神駅
  2. 天神駅 → 西鉄バス → 博多ふ頭(ベイサイドプレイス)
  3. 博多ふ頭 → 福岡市営渡船 → 志賀島(約30分)
  4. 志賀島港バス停 → 西鉄バス「金印塚」下車
船(うみなかライン):博物館との“旅のつながり”を楽しめるルート(所要:約60〜80分)

福岡市博物館との相性が抜群なのが、“うみなかライン”を使う海上アクセスです。シーサイドももち海浜公園(マリゾン)から海の中道地区を結ぶ航路で、博物館訪問とスムーズに繋がるのが大きなメリット。

博物館から徒歩でマリゾンへ向かい、うみなかラインに乗船すると、約20分で海の中道へ到着します。海上から眺める百道エリアの景色は格別で、博多湾を小さく横断する爽快ルートとして人気です。

海の中道からは、JR香椎線・西鉄バスを乗り継いで志賀島へ。一度市街地へ戻る必要がないため、意外と移動時間を節約できるケースもあり、乗り物に変化があることで旅の楽しさも広がります。

“博物館→船→海の中道→志賀島”という、旅の行程が自然につながるルートとして非常におすすめです。

  1. 福岡市博物館 → 徒歩 → シーサイドももち海浜公園内「マリゾン」
  2. ももち港 → うみなかライン → 海の中道
  3. 海の中道駅 → JR香椎線→ 西戸崎駅
  4. 西戸崎駅 → 西鉄バス → 金印公園

志賀島(ランチ、金印公園ほか)(約2時間~3時間)

博物館で国宝・金印の実物とじっくり対面したあとは、いよいよ金印が実際に発見された地、志賀島へ向かいます。その志賀島の南西部にあるのが、国宝・金印が発見された地として知られる「金印公園」福岡市博物館で得た「見た知識」が、現地の風景と結びつき「体験の記憶」へと変わる体験が最大の魅力です。

志賀島は「島」という名前ながら、海の中道という砂州で九州本土とつながる珍しい地形をもつ場所です。海の中道エリアは「うみなか」とも呼ばれるリゾート地で、「マリンワールド海の中道」や「国営海の中道海浜公園」、リゾートホテル「ザ・ルイガンズ スパ&リゾート」などが点在し、海と自然を楽しめるリゾート地として人気があります。

ランチは“志賀島名物”の海鮮。特に「さざえ丼」は必食

志賀島に到着したら、まずは腹ごしらえ。島内や船着き場周辺には、玄界灘の新鮮な海の幸が待っています。必食は、サザエのコリコリの食感と甘辛い卵とじが絶妙な名物「さざえ丼」。もちろん、新鮮な地魚が乗った「海鮮丼」もおすすめです。

博物館→志賀島という流れの中で、海の幸ランチを挟むことで旅の満足度が一気に上がります。

金印公園は「歴史の現場」を体感できる特別な場所

満腹になったら、いよいよ金印公園へ。

金印は、江戸時代に島内の田んぼを耕していた農夫・甚兵衛が偶然掘り当てたと伝えられています。この場所が公園として整備されたのが金印公園で、入口には 「漢委奴國王金印発光之処」 の石碑が建ち、発見の歴史を静かに語りかけてきます。

博物館で見たあの小さな金印が、まさにこの場所から見つかったのかと、歴史の偶然に思いを馳せましょう。 高台の展望広場からは玄界灘が一望でき、「金印はこの海を渡ってきたのかもしれない」と、古代の船が行き交った風景を想像するのに最高のロケーションです。

公園は小高い丘の上にあり、展望広場には、金印をかたどったモニュメント実物大レプリカ中国の歴史家・郭沫若の詩碑などが設置され、コンパクトながら見どころが充実。

滞在時間は20〜30分ほどが目安。博物館で得た知識が風景によって立体化し、旅の感動が一段と深まる体験ができます。

島内の見どころも豊富。ドライブ・サイクリングにも最適

志賀島は金印公園だけでなく、絶景・歴史・自然をまとめて楽しめるスポットが点在する“島全体が観光地” です。車はもちろん、レンタサイクルやEVスクーター「ラクすく」での散策にも最適で、海風を感じながら島をぐるっと一周すれば、それだけで爽快な旅になります。

  • 潮見公園(展望台)
    志賀島随一の展望スポット。福岡市街から能古島、玄界灘まで視界が開け、晴れた日は絶景が広がります。ドライブやサイクリングの途中に立ち寄りたい眺望ポイントです。
  • 志賀海神社(しかうみじんじゃ)
    「海神の総本社」とされる由緒ある古社。御祭神は、海の底・中・表を守る「綿津見三神」。古代航海の安全祈願と深く結びつき、金印の背景にある大陸交流とも関係の深いパワースポットです。金印公園と合わせて是非訪れたい場所です。(公式サイト
  • 勝馬海岸
    志賀島の最北端にある遠浅で白砂が美しいビーチ。夏は海水浴場として人気で、季節を問わず海沿いドライブのハイライトとなるスポットです。

博物館での「知的な感動」とは対照的に、金印公園では海風を感じながら「歴史のロマン」を肌で感じられます。この2つを巡ってこそ「金印の旅」は完結すると言えるでしょう。ランチと島内散策(金印公園+志賀海神社)で、所要時間は約2時間~3時間ほど確保しておくのがおすすめです。

ただ見るだけでは終わらない、旅の深層ガイド

金印が語る古代外交の物語

日本史で最初に登場する確実な年号は「西暦57年」。時代区分でいえば弥生時代中期~後期、紀元1世紀の出来事です。弥生時代は、稲作を中心とした食糧生産が本格化した時代で、一般的に紀元前10世紀頃から3世紀中頃までとされます。その後、巨大な前方後円墳が各地に築かれ始め、古墳時代へと移行していきます。当時、日本列島にはまだ「日本」という国号はなく、中国や朝鮮半島の人々はこの地を「倭(わ)」と呼んでいました。8世紀前半に編纂された『古事記』『日本書紀』では「倭(やまと)」の字が使われ、のちの国家形成につながる名称として登場します。

こうした古代の国際関係を物語る象徴的な遺物が、福岡市・志賀島で発見された国宝の金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」です。福岡市博物館の展示室、スポットライトに照らされ浮かび上がる小さな金の立方体、一辺わずか2.3センチ、重さたったの108グラム。この掌(てのひら)にすっぽり収まるほど小さな印章が、なぜ国宝に指定され、歴史教科書の冒頭を飾るほど重視されているのでしょうか。

この金印を単なる「漢から贈られた贈答品」と捉えるだけでは、その真価は見えてきません。印面に刻まれた5つの文字「漢委奴国王」。この短い文字列には、2000年前の東アジア情勢、後漢皇帝の権威、そして北部九州の国家「奴国」のしたたかな外交戦略が凝縮されています。金印は、日本列島がすでに東アジア世界の国際秩序に組み込まれていたこと、そして北部九州がその中心地だったことを示す、極めて重要な外交の証拠なのです。

ここから先では、金印の文字・素材・形に隠された意味を丁寧にひもとき、現地での鑑賞が10倍深まる「読み解きガイド」をご紹介します。

金印はいつ、誰に授けられたのか──『後漢書』が語る公式記録

金印の歴史的背景を知るうえで欠かせないのが、中国正史の一つ『後漢書』東夷伝の記述です。ここには、金印が贈られた「正確な年代」「相手国の名前」も明記されているため、金印は日本古代史のなかで数少ない「文献と実物が一致する考古資料」として非常に高い信頼性を持っています。

『後漢書』によれば、西暦57年、当時の倭(日本列島)にあった国の一つ「奴国(なこく)」の使者が、後漢王朝の首都・洛陽を訪れて朝貢しました。彼らは皇帝・光武帝に献上品を捧げ、その返礼として「印綬(いんじゅ=印鑑と組み紐)」が与えられたと記されています。この「印綬」こそが、現在福岡市博物館で国宝として展示されている漢委奴国王印にほかなりません。

つまり、金印とは古代日本が中国王朝から正式に認められ、外交関係を結んでいたことを示す唯一の現存物証なのです。印面の文字が明瞭で、文献との対応も極めて良いため、考古学・歴史学の双方から揺るぎない価値が評価されています。 書物の中の記録(『後漢書』)と、土の中から出てきた物証(金印)がピタリと一致した、「古代日本と中国が正式な外交関係を結んでいた」ことを裏付ける唯一無二の証拠なのです。文字が刻まれているおかげで、これほど明確に年代(紀元57年)と相手国の名前(奴国王)が特定できる例は極めて稀であり、考古資料としての信頼性は極めて高いものです。

ちなみに『後漢書』は、後漢(西暦25年~220年)滅亡後の5世紀、范曄(はんよう)らによって編纂された全120巻の歴史書。「東夷伝」は周辺諸地域の文化や出来事を記した章で、その中に倭(日本列島)の姿が描かれています。日本史の授業で習った「後漢書東夷伝倭条(わじょう)」を覚えている方も多いのではないでしょうか。

武中元二年けんむちゅうげんにねん奴国なこくみつぎほうじて朝賀ちょうがす。使人しじんみずか大夫だいふしょうす。倭国わこく極南海きょくなんかいなり。光武こうぶたまふに印綬いんじゅもってす。安帝あんてい永初元年えいしょがんねん国王こくおう帥升すいしょう生口せいこう百六十人ひゃくろくじゅうにんけんじ、請見せいけんねがふ。桓霊かんれいあいだ倭国わこくおおいにみだれ、こもごもあい攻伐こうばつして歴年れきねんあるじなし

【現代語訳】西暦57年、奴国王なこくおうみつぎ物を持って挨拶にきた。その使者は自分の身分を大夫だいふと称した。この奴国なこくの南の果てにある。光武帝こうぶてい奴国なこくひも付きの印を与えた。西暦107年、倭国王わこくおう帥升すいしょうは、奴隷160人を献上し、皇帝にお目にかかりたいと願った。桓帝かんてい霊帝れいていの時代、倭国わこくでは平和が乱れ互いに激しく争い、長期間にわたり争いを統一する者がいなかった

出典:みちくさスタディ 『後漢書』東夷伝を簡単に分かりやすく解説! https://michikusa.biz/yayoi-matome/

刻まれた五文字に込められたメッセージ──「漢委奴国王印」

金印の印面には、篆書体で 「漢委奴国王」 と刻まれています。一辺わずか2.3センチの小さな面積に彫られたこの五文字こそ、2000年前の国際関係を最も明確に物語る一次史料です。文字を読み解くと、中国皇帝の権威、倭(日本列島)の位置づけ、そして北部九州の政治状況までが浮かび上がります。

「漢委奴国王」という5文字。一般的には「かんの・わの・なの・こくおう」と読まれます。これは3つのパートに分解することで、当時の力関係が明確に見えてきます。

「漢(かん)」=この印を授けた大国・後漢(光武帝の時代)

最初の文字は、この印を与えた主君、すなわち「発行元」を表します。 当時は「後漢(ごかん)」の時代。光武帝が治める漢帝国は、東アジアにおける絶対的な支配者であり、文明の中心でした。 この一文字が頭にあることは、「この印を持つ者は、大帝国・漢の皇帝の臣下である」という、最強のバックアップ(後ろ盾)を意味します。

「委(わ)」= 日本(倭人)のエリア

2文字目の「委」は、「倭(わ)」の異体字、あるいは当時の書き方で「日本列島(の人々)」を指します。 つまり、「漢の支配下にある、倭(日本)エリアの」という、地理的な所属を示しています。

「奴国王(なのこくおう)」= 福岡平野の王者

残りの3文字「奴国王」こそが、この金印の持ち主の肩書きです。 「奴国(なこく)」は、現在の福岡市・春日市周辺に栄えた弥生時代のクニ。 当時の日本(倭)には100余りのクニがあったとされますが、その中で「奴国」の首長が、後漢から直接「王」と認められたのは、当時の倭の中でも奴国が突出した力を持っていたことを表します。

つまり、この5文字は「漢帝国が正式に承認した、倭(日本エリア)にある、奴国の王である」ということを示す証であることがわかります。

金印の本質は「ただの貴金属」ではなく、古代東アジアの国際秩序の中で発行された“公的な外交アイテム”でした。皇帝から諸国の支配者へ授けられる印綬は、現代でいえば公文書に押す“国家公認の公印”に相当します。約108gという金の重みは、そのまま権威の重みでもありました。

なぜ「金」なのか? なぜ「ヘビ」なのか? どうやって使うのか?

博物館で実物を見る際、文字が刻まれた印面だけでなく、上の持ち手の部分(鈕:ちゅう)にも注目してください。 そこには、とぐろを巻きながら振り返る、小さな「蛇(ヘビ)」が精巧に彫られています。

実は、この「素材(金)」と「形(蛇)」にこそ、中国皇帝による厳格なランク付け(冊封体制)と、当時の中国から見た日本のイメージが隠されているのです。

素材のランク:なぜ「金」なのか?

漢の時代、皇帝が異民族の王に印を与える際、相手の重要度によって印の材質が決まっていました。

  • 皇帝・皇太子: 玉印(ぎょくいん)
  • 諸侯王・属国の王: 金印
  • その他の位: 銀印、銅印

つまり、奴国の王は、漢帝国から最高ランクの待遇である「金印」を与えられるほど、重要なパートナー(あるいは脅威とならないよう懐柔すべき相手)だと見なされていたことがわかります。

なぜ「ヘビ」なのか?

次に、持ち手(鈕)のデザインです。これは、対象となる民族が住む「方角」や「風習」によって変えられていました。

  • 亀(亀鈕): 皇太子や将軍、北方の異民族など
  • 駱駝(駱駝鈕): 西方の砂漠地帯の異民族など
  • 蛇(蛇鈕): 南方の湿潤な地帯の異民族など

ここで疑問が浮かびます。日本は中国の「東」にあるのに、なぜ南方の「蛇」なのでしょうか? 一説には、海を越えた島国である日本(倭)は「湿気が多く水に囲まれている」ため、水を象徴する蛇が選ばれた、あるいは当時の中国人が地理を誤解し「日本は南方の民族だ」と考えていたためと言われています。

この蛇をよく見ると、身体には蛇特有のウロコではなく、「魚子(ななこ)文」と呼ばれる円筒状の工具でスタンプしたような丸い模様が刻まれています。身体をねじりながら頭を持ち上げ、振り返る姿は躍動感にあふれています。

どうやって使うのか?

最後に、この金印の使い方です。 現代のハンコのように、朱肉をつけて紙に押すものではありませんでした。

当時は、木簡や竹簡(木の札)に書かれた文書を紐で縛り、その結び目に粘土の塊をつけ、そこに印を押し付けて封をする「封泥(ふうでい)」として使われていました。 粘土が乾いて固まれば、それを壊さない限り文書を開封できません。つまり、金印は「秘密を守るためのセキュリティ・キー」だったのです。

あの小さな金印が、機密文書の封印に使われていた様子を想像すると、古代外交の緊迫感が伝わってくるようです。

奴国とはどこにあったのか──博多湾岸が担った古代の国際交流

「漢委奴国王」の金印を受け取った「奴国(なこく)」。 名前は有名でも、実際にどんな国だったのかをイメージできる人は少ないかもしれません。

結論から言うと、奴国は現在の福岡市・春日市・大野城市・太宰府市にまたがる「福岡平野一帯」を支配していたクニでした。 その中心地(王都)は、巨大な王墓や青銅器工房が見つかっている須玖岡本遺跡(すぐおかもといせき/春日市)周辺と考えられています。

なぜ、このエリアにこれほど強大なクニが生まれたのでしょうか? その秘密は、目の前に広がる「博多湾」と、そこが担った「国際交流」にあります。

「那の津」と呼ばれた博多湾。天神はかつて海だった?

博多湾は朝鮮半島や中国大陸に向けた天然の良港です。古代、大陸からやってくる船は、対馬・壱岐を経由して、まずこの博多湾に入港しました。

この港は古くから「那の津(なのつ)」と呼ばれていました。「那(な)」とはすなわち「奴(な)」のこと。つまり、ここは文字通り「奴国の港」だったのです。

古代の博多湾は現在よりも深く内陸に入り込んでいました。「冷泉津(れいぜんのつ)」や「草香江(くさがえ)」と呼ばれる入り江があり、現在の繁華街である「天神」や「博多駅周辺」の多くは海の中でした。 奴国の人々は、今の私たちよりもずっと海を身近に感じながら、大陸からの船を迎えていたのです。

人口2万戸の「メガシティ」

『魏志倭人伝』には、当時のクニぐにの規模(戸数)が記されています。

  • 伊都国: 千余戸
  • 奴国: 二万余戸

奴国は桁違いの2万戸もの人々を抱えていました。 これは、豊富な農作物(福岡平野の稲作)と、大陸との交易による莫大な富があったからこそ維持できた、当時としては破格の「メガシティ」だったことを示しています。

青銅器という「ハイテク製品」の独占

奴国の凄さは、貿易だけではありません。 中心地である須玖岡本遺跡周辺からは、日本最大級の「青銅器工房」の跡が見つかっています。

当時、青銅で作る「剣」や「矛(ほこ)」は、祭祀や権威づけに欠かせない最重要アイテムでした。奴国は、大陸から輸入した原料を使い、これらのハイテク製品を国内で独占的に製造・供給することで、日本列島全体に影響力を持っていたと考えられています。

奴国とは、単なる一地方のクニではなく、「博多湾という国際港」「青銅器というハイテク産業」を握った、古代日本の経済超大国だったのです。 だからこそ、中国の皇帝もこの国の王を重視し、最高ランクの「金印」を与えたのでしょう。

現在も福岡市内を流れる「那珂川(なかがわ)」や、地名に残る「那の川(なのかわ)」という響きの中に、2000年前の「奴国(なこく)」の名残を感じることができます。現代の福岡が「アジアの玄関口」として賑わうルーツは、まさにこの時代にあったのです。

紀元57年、奴国王の「外交戦略」:なぜ海を渡って「金印」を求めたのか?

『後漢書』には、さらりと「使者が来て、金印を授けた」と書いてありますが、当時の航海技術で玄界灘と東シナ海を越えて中国の都(洛陽)へ行くことは、まさに命がけのプロジェクトでした。

なぜ、奴国の王はそこまでして「金印」を欲したのでしょうか? その答えは、当時の日本列島内で起きつつあった「熾烈な権力闘争」にあります。

国内事情:迫りくる「戦乱」とライバルの存在

時は弥生時代後期。日本列島ではクニ同士の争いが激化し始めていました(後の「倭国大乱」への予兆)。

博多湾という要衝を押さえていた「奴国」は強大でしたが、決して安泰ではありませんでした。周辺にはライバルとなるクニがひしめき合っており、いつ足元をすくわれるか分からない緊張状態だったのです。

「武力だけで勝ち続けるのは難しい……」 そう悟った奴国王が選んだ起死回生の戦略。それが、「世界最強のスーパーパワーである漢帝国(中国)の威光を借りる」ことでした。

最終兵器「金印」:世界最強の権威を借りる

奴国王の狙いは明確でした。 「自分は、あの漢の皇帝から正式に認められた王である」という国際的なお墨付き(権威)を手に入れること。これさえあれば、国内の他のクニに対して圧倒的に優位に立つことができます。

結果として、奴国王の賭けは勝ちました。 光武帝から授かった「金印」。 これを見せつけられた周辺のクニの首長たちは、その背後に見え隠れする漢帝国の巨大な軍事力や経済力を恐れ、奴国に従わざるを得なかったでしょう。

あの小さな金印は、血を流さずにライバルを黙らせるための、政治的な「最終兵器」だったのです。 そう考えると、博物館のガラスケースの中で輝く金印が、単なる金(ゴールド)の輝き以上の「権力の魔力」を帯びて見えてきませんか?

金印はなぜ志賀島に?──埋没の謎と三つの仮説

金印をめぐる最大のミステリー。それは「発見された場所」です。

奴国の中心地(王都)は現在の春日市(須玖岡本遺跡)周辺でした。しかし、金印が見つかったのは、そこから直線距離で約20kmも離れた、博多湾の入り口にある離島・志賀島です。王の権威を示す重要な印が、なぜ王都ではなく、海辺の島にポツンと埋もれていたのか? その発見の経緯と、歴史家たちを悩ませ続ける「空白の謎」に迫ります。

1784年、農民・甚兵衛による偶然の発見

金印が再び世に出たのは、江戸時代中期の1784年(天明4年)のこと。 志賀島の農民・甚兵衛(じんべえ)が、田んぼの溝を修理していた際、大きな石の下から偶然に発見したと伝えられています。

この時、福岡藩(黒田藩)の儒学者・亀井南冥(かめい なんめい)が、中国の歴史書『後漢書』の記述と一致することを見抜き、「これは漢の皇帝が奴国に与えた印である」と鑑定しました(『金印弁』)。 以降、金印は国宝として黒田家で大切に保管され、1978年に福岡市へ寄贈。現在は福岡市博物館の顔となっています。

「不自然」すぎる出土状況

しかし、この発見には大きな謎が残りました。 通常、これほど重要な遺跡であれば、周囲から土器や住居跡、あるいは埋葬された人の骨や副葬品などが見つかるはずです。 ところが、志賀島の発見現場からは、金印以外の遺物が一切見つかっていないのです。

「なぜ金印だけが、ポツンと埋まっていたのか?」 この不自然な状況から、現在でも定説に至っていない3つの有力な仮説が唱えられています。

謎を解く「三つの仮説」
  • 仮説①:【隠匿(いんとく)説】敵から守るために隠した?
    最もドラマチックな説です。紀元57年から時代が下ると、日本列島は「倭国大乱」と呼ばれる内戦状態に入ります。 滅ぼされそうになった奴国の王族が、敵に奪われないよう、あるいは「いつか取りに来るつもり」で、人目につかない離島に隠したまま歴史から消え去ったのではないか、という説です。
  • 仮説②:【祭祀(さいし)説】海神への捧げ物?
    志賀島は、古くから志賀海神社(海神の総本社)が鎮座する聖なる島です。 中国王朝が変わり、金印が外交パスポートとしての効力を失った際、海を渡る守り神への感謝を込めて「神への奉納品」として埋めたのではないか、という説です。
  • 仮説③:【墳墓(ふんぼ)説】実はそこにお墓があった?
    発見者の甚兵衛は「大きな石の下(四方を石で囲まれた中)から見つけた」と証言しています。この形状は「箱式石棺(はこしきせっかん)」という古代のお墓の特徴と似ています。 奴国を追われた王族、あるいは志賀島を支配していた有力者(安曇族)の墓に副葬されたものの、長い年月で人骨などは土に還り、金印だけが残ったとする説です。

金印公園の展望台に立ち、玄界灘の海と、遠くに見える奴国の方向(福岡市内)を眺めてみてください。真相は未解明のままですが、だからこそ想像をかき立てる歴史ミステリー。現地で風に吹かれながら、自分なりの「推理」をすることこそ、この旅の醍醐味です。

「偽物説」を覆した、中国での大発見〜兄弟印「広陵王璽」の衝撃〜

これほど有名な国宝・金印ですが、実は発見当初から近年に至るまで、常にある「疑惑」がつきまとっていました。それは、「江戸時代に作られた偽物(贋作)ではないか?」という説です。

理由はシンプルです。 「農民が偶然拾ったという経緯が怪しい」 「2000年前のものにしては、金がピカピカすぎて綺麗すぎる」 「文字の彫り方が、当時の他の印と微妙に違う気がする」

多くの学者が疑いの目を向け、論争は平行線をたどっていました。 しかし、1981年(昭和56年)。海の向こう中国で起きたある発見が、この論争に劇的な終止符を打ちました。

1981年、中国・江蘇省でのニュース

その日、中国の江蘇省で、現地の農民が作業中に小さな金の印を発見しました。 専門家が鑑定した結果、それは後漢の光武帝の息子、広陵王(こうりょうおう)・劉荊(りゅうけい)が持っていた金印、「広陵王璽(こうりょうおうじ)」であることが判明したのです。

このニュースが日本に伝わると、歴史学者たちはどよめきました。 なぜなら、江蘇省の「広陵王璽」と福岡の「漢委奴国王印」は、まるで双子の兄弟のように似ていたからです。

  • 作られた時期:
    • 福岡の金印(奴国):建武中元二年(紀元57年
    • 中国の金印(広陵王):永平元年(紀元58年) なんと、わずか1年違いで作られていたのです。
  • デザインと技術: 広陵王璽は「亀(亀鈕)」、福岡の金印は「蛇(蛇鈕)」という違いはありますが、全体のサイズ、金の純度、そして何より「文字の彫り方(漢篆:かんてん)」の癖や技術的な特徴が、ほぼ完全に一致していました。

これは、2つの金印が「同じ時期に、同じ宮廷の工房で(おそらく同じ職人の手によって)作られた」ことを証明する動かぬ証拠です。

疑惑の霧は晴れた:江戸時代の人間が、1981年に中国で見つかる金印のデザインを予知して偽造することなど不可能だ

この「広陵王璽」の出現により、金印偽造説は完全に覆されました。 福岡市博物館にあるあの金印は、間違いなく2000年前に中国の都・洛陽で作られ、はるばる海を渡って奴国王の手元に届いた「本物」だったのです。

博物館で金印を見る際は、ぜひ「中国にも、これとそっくりの弟分(亀の金印)がいるんだな」と思い出してみてください。本物だけが持つ歴史の重みが、より一層リアルに感じられるはずです。

現地でこそ味わえる「金印のリアリティ」

福岡市博物館の展示室で、実物の金印と対面したとき、多くの人が驚かされます。

それは──「意外なほど小さい!」ということ。

一辺はたった2.3cm。手のひらどころか、指先に乗るほどのサイズです。でも、その小さな立方体に、古代の権威と外交戦略がすべて凝縮されているのです。2000年前の政治の重み、古代の技術力の高さ、そして海を越えた交流の息吹がリアルに伝わってきます。文字を持たなかった弥生時代の人々が、命がけの航海を経て手に入れた「国家の威信」そのものです。

そして何より、実際に志賀島へ立つことで歴史が一気に立体化するのです。玄界灘を見渡す島の地形、古代から続く海上交通の要衝としての役割、海神を祀る志賀海神社の神域、福岡市街との近さ、行き交う船の姿。「この海を越えて、中国とつながっていた」ことが実感できるはずです。

「漢」の皇帝が見た東アジアの地図。 「奴」の王が求めた権力への渇望。 そして、江戸時代の農民が泥の中から見つけた「偶然」。

ぜひ現地で、遥か古代の外交交渉の舞台に思いを馳せてみてください。ただの「金色のハンコ」が、雄弁な歴史の語り部として見えてくるはずです。

福岡という都市の魅力::古代の「那の津」から現代の「天神ビッグバン」まで

現在、日本全体では人口が減少していますが、福岡市はいまも人口が増加し続けています。2025年11月現在の人口は160万人を超え、東京、大阪、名古屋、札幌に次ぐ都市圏を形成しています。市別の人口でも、横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市に次ぐ5位です。今後も人口増加が見込まれており、非常に活気のある大都市です。

実は、この現代の繁栄と、今回巡ってきた「金印」の歴史は、「アジアへの玄関口」という一つのキーワードで密接に繋がっています。

日本と福岡市の人口推移
日本と福岡市の人口推移

古代:「那の津」──すべてはここから始まった

福岡からは、「大阪とソウル」が、「東京と上海」が、それぞれほぼ等距離にあります。 このアジアと真正面から向き合う地理が、福岡という都市の原点です。つまり、太古の昔から自然と世界へ開かれた都市だったのです。

「奴国」の時代、博多湾は「那の津(なのつ)」と呼ばれ、大陸からの船が最初に入港する日本最古の国際港でした。 金印がもたらされたのも、最先端のテクノロジーが入ってきたのも、すべてこの「窓口」があったからです。

日本最古の稲作集落「板付遺跡」

博多区にある「板付(いたづけ)遺跡」(国指定史跡)は、日本で最も早く本格的な稲作が始まった場所です。 ここからは、水路に堰(せき)を設け、水をコントロールする高度な土木技術の跡が見つかっています。つまり、日本人はここで初めて大陸のハイテク技術(農耕)を受け入れ、そこから日本中に広まっていったのです。 「板付弥生館」では、当時の暮らしや復元された水田を見学できます。

海外使節を迎えた国際迎賓館・鴻臚館跡

かつて西鉄ライオンズの本拠地・平和台球場があった場所(福岡城址内)。 その地下から、平安時代の古代迎賓館「鴻臚館(こうろかん)」が発見されました。

ここは、海外の商人や外交使節団をもてなした日本唯一の「遺構が残る古代迎賓館」です。 発掘された陶磁器などからは、当時の博多が国際色豊かな都市であったことがうかがえます。

中世〜近世:「博多商人」の進取の気風と二つの都市

古代、国家が主導した外交の舞台は、時代が進むにつれて「商人」たちの手へと移っていきます。 今の福岡の活気を支える「商都・博多」のブランドは、この中世に確立されました。

日本初のチャイナタウンと「自由都市」

11世紀後半以降、博多は日本屈指の国際貿易港として黄金期を迎えます。

当時、博多の街には「博多津唐房(はかたつとうぼう)」と呼ばれる日本初のチャイナタウンが形成されていました。「博多綱首(こうしゅ)」と呼ばれる貿易商人たちが拠点を構え、宋(中国)からの最新文化や禅宗などが、ここを窓口として日本中へ広まっていったのです。

戦国時代には、堺(大阪)と並ぶ「自由都市」として発展。豪商たちが自治を行い、富と力で乱世を生き抜きました。この時に培われた、権力に頼らず自らの才覚で道を切り開く「博多商人(マーチャント)」のDNAは、現代の福岡財界にも脈々と受け継がれています。

「武士の福岡」×「商人の博多」の融合

そして江戸時代。稀代の軍師・黒田官兵衛(くろだかんべえ)とその子・長政がこの地に入ると、街は大きな転換期を迎えます。黒田氏は、那珂川(なかがわ)を境にして、西側に城を築き「福岡(武士の町)」とし、東側の「博多(商人の町)」を残しました。

  • 福岡(西側): 行政・政治の中心(現在の天神エリア)
  • 博多(東側): 経済・商売の中心(現在の博多駅・川端エリア)

この「武士の福岡 × 商人の博多」という、異なる個性を持つ二つの都市が川を挟んで共存・統合したこと。これが、福岡という都市に独特の厚みと多様性を与えました。

博多祇園山笠に代表される、エネルギッシュで新しいもの好きな気質。「来る者は拒まず」という開放的なメンタリティ。 これらはすべて、金印を手に入れた奴国王の時代から続く「外(海外)を向いた戦略」が、中世の商人たちによって「進取の気風」へと進化した結果なのです。

現代:アジアをリードする都市へ 「天神ビッグバン」とスタートアップ都市

そして今、福岡は再び大きな変革期を迎えています。 福岡空港に降り立ち、地下鉄でわずか10分(この近さは世界でも稀です!)。都心部に着くと、空を見上げる建設クレーンの数に驚かされるはずです。

それが、都心部の大規模再開発プロジェクト「天神ビッグバン」「博多コネクティッド」です。

100年に一度の変革:景色が変わる、空が広がる

航空法の高さ制限緩和をきっかけに、耐震性の高い先進的なビルへの建て替えが次々と進行中。ガラス張りの美しいビル群が生まれ、街の景色は劇的に変わりつつあります。

しかし、これは単なる「ビルの建て替え」ではありません。 その本質は、かつて奴国や博多商人が持っていた「世界(アジア)と繋がる機能」を、現代版にアップデートする試みなのです。

スタートアップ都市:2000年変わらない「進取の気風」

現在の福岡市は、国から「国家戦略特区(グローバル創業・雇用創出特区)」に指定されています。 日本で最も起業(スタートアップ)しやすい街を目指し、IT企業や若きクリエイターたちが国内外から集まっています。

  • 東京の支店ではなく、アジアのハブへ。
  • 国内の安定よりも、海外への挑戦へ。

このビジョンは、2000年前にリスクを恐れず海を渡り、漢帝国と結んで国際社会へ打って出た「奴国王の外交戦略」と、驚くほど重なりませんか?

人口減少時代においてなお成長を続ける福岡市。その原動力は、特定の政治家の手腕というだけでなく、この土地に2000年以上脈々と受け継がれてきた「新しいものを取り入れ、外へ開く」という都市のDNAそのものなのかもしれません。

歴史と未来が交差する街を歩く

福岡・博多の街を歩くとき、少しだけ想像力を働かせてみてください。

いま目の前にある、天神ビッグバンの巨大なビルの下には、かつて「那の津」と呼ばれた海や、中世の遺跡が眠っています。 美味しいグルメや賑やかな屋台の向こうには、数千年前から海を越えてきた「外の人」をもてなしてきた、この街の開放的な歴史があります。

「古代の大陸交流拠点」から「現代のアジアのハブ都市」へ。

金印の旅を通じて、この都市に流れる「2000年変わらない進取のDNA」を感じていただければ、福岡の旅はもっと深く、もっと面白いものになるはずです。

外から来たものを拒まず、良いものは大胆に採り入れる。 その姿勢こそが、古代から現代まで脈々と続く都市のアイデンティティです。

いまあなたが歩いているその街角にも──。 金印が授かったあの日の「国際都市としての誇り」が、静かに、しかし力強く息づいています。

福岡市博物館と志賀島を120%楽しむ旅行プラン2選

プラン作成の考え方

実際に金印の旅のプランを作成する上で、最大のポイントは「2つの目的地(博物館と志賀島)が、博多湾を挟んでほぼ正反対の位置にある」という地理的な事実です。両者を1日で巡るには、必ず「長い移動」が発生します(車で約30分~50分、公共交通機関なら1時間以上)。

先に紹介した「福岡市博物館と志賀島を訪ねる、金印をめぐる王道モデルコース」は、“展示で知り、現地で体験する” というストーリー性のある旅ができる、非常に相性の良い組み合わせです。この移動時間を前提に、時間を1日確保できる場合には、金印の魅力を満喫できる理想的なプランです。

ここではその王道コースとは別に、福岡での「滞在時間」別の2つの旅行プランをご提案します。

  • 【プラン①】半日しか時間がとれない場合の「効率重視プラン」
  • 【プラン②】2日かけて金印と古代の世界をより深く楽しむ「じっくり満喫プラン」

ご自身の旅程に合わせ、最適なプランを選んでみてください。

プラン例①:福岡市博物館の周辺を楽しむ半日プラン

福岡での滞在が半日程度しかない、でも「国宝・金印だけは絶対に見ておきたい!」という方に最適なのが、この 「効率重視プラン」 です。

このプランでは、移動に時間がかかる志賀島方面にはあえて向かわず、目的地を「福岡市博物館」 と、その周辺に人気スポットが集まる 「百道(ももち)エリア」に絞り込みます。短い時間でも、国宝「金印」に代表される福岡の歴史、福岡タワーや海浜公園が広がる近代的で開放的な都市景観、の両方を楽しめる、満足度の高い半日コースです。

地下鉄西新駅からスタートし、福岡市博物館で金印を鑑賞し、福岡タワーでパノラマビューを楽しみ、シーサイドももち海浜公園でリゾート気分に浸るコースです。自動車の場合は、福岡市博物館の駐車場に駐めて一巡しましょう。公共交通機関なら福岡タワー周辺のバス停から天神地区や博多地区へバスで戻ることができます。

では、この流れに沿って、各スポットの見どころを詳しく見ていきましょう。

地下鉄「西新駅」から「サザエさん通り」を散策(約20分)

このプランは、地下鉄空港線「西新(にしじん)駅」からスタートするのがおすすめです。

西新駅近くの脇山口交差点から、福岡県有数の進学校・福岡県立修猷館高校、西南学院大学、福岡市博物館の前を通って、福岡タワー、シーサイドももち海浜公園入口までの約1.6kmの通りは「サザエさん通り」と呼ばれています。駅から福岡市博物館までは約1kmです。

漫画家として初めて国民栄誉賞を受賞した長谷川町子(1920年(大正9年)- 1992年(平成4年))は、東京から疎開していた福岡で戦中戦後を過ごしました。1945年(昭和20年)頃、百道(ももち)の海岸を散歩しながら「サザエさん」の登場人物サザエ、カツオ、ワカメなどの名前や家族構成を発案しました。1946年(昭和21年)、福岡の地方紙「夕刊フクニチ」で「サザエさん」の連載が開始されました。

通りの中ほど、博物館へ曲がる角には、「サザエさん発案の地記念碑」(磯野広場) があり、ファンにも人気のスポット。散策の途中で立ち寄れば、物語が生まれた当時の空気を感じられる小さな寄り道になります。

サザエさん通りの看板
サザエさん通りの看板

福岡市博物館へ:金印にご対面(60分~90分)

福岡市博物館は、館内の順路がとてもわかりやすく設計されており、初めて訪れる方でもスムーズに回れるのが魅力です。最初の見どころは、何といっても国宝 「金印(漢委奴国王印)」。実物を間近で鑑賞できる常設展示は、福岡市観光のハイライトのひとつです。

福岡市博物館は「FUKUOKA アジアに生きた都市と人びと」をテーマとしており、展示は金印を皮切りに、古代から中世・近世、そして現代の博多祇園山笠に至るまで、「福岡がアジアとともに歩んできた歴史」を一貫して学べる構成になっています。展示規模は大きすぎず、見どころがコンパクトにまとまっているため、金印を中心とした短時間見学から常設展をしっかり見る深堀り見学まで、旅程に合わせて調整できるのも魅力です。

福岡市は、1989年(平成元年)に市制施行100周年を記念して、アジアおよび太平洋地域をテーマとした博覧会(アジア太平洋博覧会(通称:よかトピア))を開催しました。よかトピアを開催するに際して、福岡市早良区の百道浜(ももちはま)や中央区地行浜(じぎょうはま)一帯の臨海部が埋め立てられ会場が設営されました。福岡市博物館は、よかトピアのテーマ館として使用された建物を改修して、翌年の1990年(平成2年)に開館しました。

福岡市博物館は、自らの位置づけ・特徴を以下のように述べています。

 福岡は、弧を描く日本列島の西の端にあり、ユーラシア大陸と朝鮮半島に近接しています。この地に住む人々は、古来、この国の誰もが知らなかった文化に最初に触れ、経験したことのない生産手段や経済活動を発展させ、遭遇したことのない脅威を克服し、豊かな都市を営みつづけてきました。

 この博物館は、アジアとの人・もの・文化の交流がつくってきた特色ある歴史と、そこに生きる人びとのくらしを、さまざまなかたちで発信しています。

出典:福岡市博物館公式ウェブサイト https://museum.city.fukuoka.jp/about/

福岡タワー:海と街を一望する絶景パノラマへ(30分~60分)

博物館で知的好奇心を満たしたら、サザエさん通りを北に向かい、「福岡タワー」へ向かいましょう。

福岡タワーは、福岡市博物館と同じく、1989年(平成元年)に開催された(アジア太平洋博覧会(通称:よかトピア))におけるモニュメントとして建設された、福岡のランドマークです。

正三角柱の形状をしており全長234mで海浜タワーとしては日本一の高さを誇り、外観は8,000枚のハーフミラーで覆われています。頂上部に斜めに切った切断面があり福岡市の市章が象られています。観光展望タワーとしての役割に加え、電波塔としても機能しており、福岡市と地元有力企業との共同出資による福岡タワー株式会社が運営しています。

展望室は地上123m。エレベーターで約70秒、あっという間に空中へ。そこからは、福岡市街博多湾、足元にはこれから訪れる「シーサイドももち」、さらに博多湾の向こう側にある「金印」発見の地・志賀島まで、360度の大パノラマが広がります。特に日没後の夜景は格別で「夜景100選」にも選ばれた美しくドラマチックな景色が楽しめます。

福岡タワー
福岡タワー

シーサイドももち海浜公園:都会に広がる福岡随一のリゾートビーチへ(30分~60分)

この半日プランの締めくくりは、福岡タワーのすぐ北側に広がる「シーサイドももち海浜公園」です。美しく整備された人工の白砂のビーチが広がり、大都会の真ん中とは思えない非日常的なリゾート感を味わえます。

公園中央に位置する複合施設「マリゾン」には、レストランやカフェ、結婚式場などがあり、非常におしゃれな雰囲気。 近くに見える「福岡PayPayドーム」「ヒルトン福岡シーホーク」を背景に記念写真を撮ったり、ビーチ沿いのカフェで海を眺めながら一息ついたり。散策するだけで“海×都市”という福岡らしい景観を楽しめます。

帰りは、公園近くの「福岡タワー(TNC放送会館前)」バス停から天神・博多駅方面へバス一本でアクセス可能。観光動線も良く、初めて福岡を訪れる方にもおすすめの効率的なルートです。

シーサイドももち海浜公園から東方を望む
シーサイドももち海浜公園から東方を望む

プラン例②:金印・伊都国・奴国を巡る古代史の”現場”を巡る旅。「魏志倭人伝」満喫1泊2日プラン。

福岡での滞在が2日以上あり、「金印(漢委奴国王印)」の背景にある古代史を骨の髄まで味わい尽くしたい。 そんな知的好奇心旺盛なあなたへ、『魏志倭人伝』の記述を現地で“追体験”しながら、金印・伊都国・奴国という三つのキーワードを軸に、北部九州の古代世界を立体的に味わえる「じっくり満喫1泊2日プラン」を提案します。

このプランは、伊都国(いとこく)」(現在の糸島市周辺)「奴国(なこく)」(現在の春日市周辺)の2つの"クニ"の史跡を巡るルートです。なぜこの2カ所なのか? 中国の歴史書『魏志倭人伝』には、当時の北部九州の様子が、使節の足取りに沿ってこう記されています。

(末盧国から)「東南に陸行五百里して伊都国に到る。千余戸あり」
(伊都国から)「東南に百里して奴国に至る。二万余戸あり」

対馬・壱岐を経由して上陸した使節が、まず「伊都国(千余戸)」に到着し、そこからさらに「奴国(二万余戸)」へ向かったということです。伊都国は外交使節の管理や交易を担った“外交・通商の玄関口”奴国は二万余戸を擁し金印を受けた強大なクニ政治的中心地)であったことが伺えます。

このプランでは、歴史の点と線を繋げるため、以下の流れで巡ります。古代史の文献と遺跡、展示資料を一気通貫で味わえる構成になっています。

  • 1日目:「伊都国(外交の玄関)」と「金印(実物)」
  • 2日目:「奴国(金印の故郷)」と「古代の首都(太宰府)」

なお、複数の遺跡を効率よく巡るため、自動車(レンタカー)の利用を推奨します。公共交通機関のみでも可能ですが、移動時間が長くなります。

【1日目】伊都国(外交の玄関)と金印(実物)を巡る

1泊2日プランの初日は、まず福岡市より西側、現在の「糸島市」へ向かい、古代の“外交の玄関口”「伊都国」を巡ります。 その後、福岡市内に戻り、この旅の主役である「金印」の実物と対面します。

まずは糸島へ:伊都国の中心地を訪ねる(60分~90分)

まずは、糸島市へ向かい 「糸島市立伊都国歴史博物館」を訪れます。【注意!】伊都国歴史博物館は、大規模改修工事のため、2025年(令和7年)10月1日から2026年(令和8年)1月5日まで全館休館となっています。現在は改修工事のため休館中ですが、その分、現地の『三雲・井原遺跡』を巡りましょう。

古代中国の史書『魏志倭人伝』に記される「伊都国(いとこく)」は、現在の福岡県糸島市および福岡市西区一帯に比定されています。弥生時代において倭国と大陸をつなぐ外交・交易の中枢拠点として機能した国で、王が居住し政治・祭祀が行われた中心地と考えられています。

その姿をもっともよく伝えるのが、三雲・井原遺跡(みくも・いわらいせき)および曽根遺跡群(平原遺跡を含む/国史跡)です。

三雲・井原遺跡は、南北約1,500m・東西約750m、総面積約60ヘクタールに及ぶ大規模な拠点集落で、弥生時代前期から後期にわたり栄え、古墳時代初頭まで継続しました。ここでは居住域墓域が明確に分けられ、対外交流の痕跡が豊富に見つかることから、伊都国の「王都」と位置付けられています。遺跡は主に次の3地区に分類されます。

  • 加賀石(かがいし)地区
    弥生時代初期〜前期の墓域・集落域が確認され、伊都国の成立初期の中心地とみられる地区。支石墓や甕棺墓、竪穴建物が検出されています。
  • 番上(ばんじょう)地区
    弥生前期〜後期にわたって集落が継続。27点もの楽浪系土器(朝鮮半島の楽浪郡由来)・硯とみられる石板など大陸系遺物が集中して出土しており、外交・交易の場となった中枢区画と考えられています。シルクロード経由で運ばれたと考えられるカザフスタンで作られたガラス玉も見つかっています。
  • 南小路(みなみしょうじ)地区(三雲南小路遺跡)
    一辺約30mの大型弥生墳丘墓(「王墓」と呼ばれる墳墓)が存在。吉備系・東海系の土器も出土しており、大陸だけでなく列島各地との交流を示す証拠が確認されています。

博物館で必ず見ておきたいのが、国の史跡「平原遺跡(ひらばるいせき)」から出土した、国宝「福岡県平原方形周溝墓出土品」です。これは単なる出土品ではありません。 そのハイライトは、直径46.5cmという日本最大の銅鏡(内行花文鏡)。これが40面近い鏡(レプリカ含む)と共に復元展示されている様子は圧巻で、鏡・玉・鉄刀がそろう副葬品構成は、三種の神器を彷彿とさせるとして学術的にも注目されてきました。

さらに、平原遺跡1号墓の出土状況を原寸大で再現した模型や、銅鏡のレプリカを手にとって比較できる体験展示もあり、伊都国の権力の大きさを深く実感できます。弥生時代の北部九州がいかに豊かな文化を育み、中国・朝鮮半島と活発に交流していたかを、具体的な資料で深く学べるのが最大の魅力です。

国宝や復元模型などをじっくり鑑賞することを考慮し、約60分~90分の滞在時間を見ておくとよいでしょう。

【アクセス】

  • 車: 天神エリアから約22km
    • 福岡都市高速・天神北ランプ → 西九州道・今宿IC → 約7km
    • 駐車場80台
  • 公共交通機関:
    • 天神駅 →(地下鉄空港線 13分)→ 姪浜(めいのはま)駅
    • 姪浜駅 →(JR筑肥線 12分)→ 周船寺(すせんじ)駅 ※ 地下鉄とJR筑肥線は直通運転あり。
    • 周船寺駅 →(はまぼう号 11分)→ 伊都国歴史博物館
方格規矩四神鏡
方格規矩四神鏡
(出典:糸島市観光協会 糸島観光サイト「つなぐいとしま」 https://kanko-itoshima.jp/event/itokoku2024/)

ランチ:糸島で海の幸を堪能するか、博物館近くの百道エリアで手軽に楽しむか(60分~90分)

伊都国歴史博物館を見学し終える頃には、ちょうどお昼時。午後は福岡市博物館へ向かう流れになるため、「糸島でゆっくり楽しむ」か、「博物館近くで効率よく食べる」か、交通手段、時間、目的に応じて選ぶのがおすすめです。

海沿いカフェ&海鮮ランチで糸島を満喫

せっかく糸島に来たなら、ここでしか味わえないグルメを楽しむのがおすすめです。玄界灘に面した糸島は、漁港直送の魚介を使った海鮮丼や糸島野菜をたっぷり使ったおしゃれなカフェランチなど名店が揃っています。ただし、人気店は混雑することもあるため、移動時間も考慮に入れておきましょう。

公共交通機関の場合は、周船寺駅周辺に飲食店があります。自動車の場合は、選択肢が広がります。

福岡市博物館のある「百道(ももち)エリア」でランチ

午後の行動をスムーズにしたいなら、先に福岡市博物館のある百道エリアへ移動し、博物館周辺でランチをとりましょう。 移動の時間を節約でき、午後の行動に移りやすいのが最大のメリット。チェーン店から地元の人気店まで揃っており、短時間で食事を済ませたい旅程に最適です。

公共交通機関の場合は、西新駅周辺に多数の飲食店があります。自動車の場合は、MARK IS 福岡ももちや福岡タワー周辺のカフェ・レストランなど自由度が上がります。

福岡市博物館で、いよいよ“本物の金印”と対面する(60分~90分)

ランチを終えたら、いよいよ福岡市内・百道(ももち)にある福岡市博物館へ向かいます。この記事の前半でも詳しく紹介したとおり、ここには国宝の金印「漢委奴国王」の実物 が常設展示されており、北部九州の外交・交易の歴史を体系的に学べる貴重な場所です。

午前中に糸島で見た「伊都国」の強大な外交窓口(=国宝の巨大銅鏡)の記憶が新しいうちに、常設展示室で「国宝・金印」の実物と対面してください。

「(午前中に見た)あの伊都国を経由して、今目の前にあるこの小さな"金印"が、奴国の王にもたらされたのか…」と、『魏志倭人伝』が頭の中で「物証」としてリアルに繋がります。この「歴史の答え合わせ」とも言える瞬間こそ、この旅でしか味わえない最高のハイライトです。

金印を見るだけでなく、伊都国と奴国の役割の違いを意識しながら、古代の北部九州と大陸との交流史に関する展示も見ることで、旅の理解がより一層深まるでしょう。

金印との対面と関連展示を中心に、約60分~90分の滞在時間を見込みましょう。

夕暮れの百道(ももち)を歩く:海風が心地よいリラックスタイム(約1時間~)

伊都国と金印、古代史の壮大な物語にどっぷりと浸かった後は、現代の福岡を象徴する景色で頭をクールダウンさせましょう。博物館の周辺は、絶景スポットの宝庫です。

まずは「福岡タワー」へ。 地上123mの展望室から、今日巡ってきた糸島(伊都国)方面や、博多湾の向こう側にある志賀島(金印発見の地)を改めて一望するのは、このプランならではの楽しみ方です。 特に夕景から夜景に移り変わるマジックアワーは、「日本夜景遺産(夜景100選)」にも選ばれた格別の美しさです。

タワーを降りたら、北側に広がる「シーサイドももち海浜公園」の砂浜を散策。 中央の「マリゾン」がおしゃれなリゾート感を演出し、PayPayドームやヒルトン福岡シーホークといった都会的な夜景も楽しめます。

このエリアで早めのディナーをとるのも良いですし、博多・天神のホテルに戻ってから「もつ鍋」や「水炊き」といった福岡グルメを堪能するのも良いでしょう。 存分に福岡の夜を楽しんだら、1日目は終了です。

【2日目】奴国(金印の故郷)と九州の古代中枢を巡る

プラン2日目は、いよいよ金印が授けられた「奴国(なこく)」へと足を踏み入れます。1日目に見た「伊都国(銅鏡)」と「金印(実物)」の記憶を胸に、「金印を受け取った王は、どんな場所にいたのか?」という、この旅最大の答え合わせに向かいます。

午後は、その歴史がどう受け継がれたかを知るため、古代の「九州の首都」太宰府へ。アジアとの交流史の総仕上げとなる1日です。

奴国を訪ねる:金印が示す古代外交の舞台を歩く(約2時間)

2日目の午前は、ついに金印が授けられた「奴国(なこく)」の舞台へ。訪れるのは、福岡県春日市の 「奴国の丘歴史公園・奴国の丘歴史資料館」。1日目に博物館で見た「金印(物証)」が、実際に存在した“現場”とつながる、まさに古代史旅の核心となる場所です。

奴国は、1世紀〜3世紀に九州北部に存在したとされる国家で、『後漢書東夷伝』『魏志倭人伝』『梁書倭伝』『北史倭国伝』など複数の歴史書に登場します。現在の福岡市・春日市を中心とする福岡平野一帯を支配し、那珂川・御笠川流域に広がる弥生時代の集落・水田跡・甕棺墓がその繁栄を物語っています。

博多湾という天然の良港を抱く地の利により、大陸の先進文化の受容と外交をいち早く展開し、弥生時代中期には一気に勢力拡大。考古学調査により、九州における中心国家の一つだったことが確実視されています。

春日市に広がる須玖遺跡群は、奴国の王都にあたる中心地。中でも須玖岡本遺跡からは、1899年(明治32)年に甕棺墓が発見され、前漢鏡約30面を含む多数の副葬品が出土。現在では「奴国王の墓」と考古学界で定説となっています。

さらに近年の発掘によって、周辺一帯では青銅器・ガラス製品・鉄器の大規模生産が行われていたことが判明。とくに銅矛の生産量は日本最大規模で、西日本から朝鮮半島南部にまで流通した痕跡が確認され、奴国の政治・経済・外交力が卓越していたことがわかっています。

まずは、奴国の丘歴史資料館を訪れましょう。ここには、須玖遺跡群で出土した弥生時代の青銅器・鉄器・鋳型・ガラス製品が展示され、奴国が列島最大級の青銅器生産地であり、大陸との交流拠点だったことが一目で理解できます。必見は、大人がすっぽり入るほど巨大な甕棺の実物展示。王族墓の威厳を体感でき、金印の背景にある「王権の強さ」が具体的に想像できます。

資料館のすぐ隣が、国の史跡 「須玖岡本遺跡」の現場です。公園内には、発掘時の姿を保存した甕棺墓群の発掘ドーム「ツインドーム(覆屋)」、さらに奴国王墓の巨大な上石(うわいし)も見学できます。

丘の上に広がる静かな風景の中で、「この場所で、金印を授かった王が暮らしていたのか」と想像しながら歩く時間は、まさに古代史の“聖地巡礼”。1日目に得た知識と、足元の大地がつながる体感は唯一無二です。

資料館の見学と公園の散策を合わせて、約60分~90分を見ておきましょう。

【アクセス】

  • 車: 天神エリアから約8km
    • 天神駅前の渡辺通/県道602号を直進
    • 駐車場22台
  • 公共交通機関:
    • 博多エリアからは、博多駅からJR鹿児島本線で南福岡駅まで約9分、駅から約1.5km(徒歩約20分)
    • 天神エリアからは、西鉄福岡(天神)駅から天神大牟田線で雑餉隈(ざっしょのくま)駅まで約12分、駅から約1.8km(徒歩約24分)
奴国の丘歴史公園
奴国の丘歴史公園
(出典:春日市奴国の丘歴史公園パンフレット https://www.city.kasuga.fukuoka.jp/res/projects/default_project/_page/001/002/250/shiryoukanpamph.pdf)
ランチ:地元の味で旅をひと休み(約1時間)

奴国(春日市)を歩いたあとのランチは、移動手段によっておすすめエリアが変わります。 公共交通機関なら「雑餉隈(ざっしょのくま)駅周辺」自動車なら「太宰府エリア」で楽しむのが最も効率的です。

電車移動の方に強くおすすめするのが、奴国の丘から徒歩圏内にあり、太宰府に向かう西鉄電車への乗り換え駅でもある「雑餉隈(ざっしょのくま)駅」周辺です。この難読地名は、かつて太宰府へ向かう人々をもてなす「雑餉(酒や食事)」を出す店があったことに由来すると言われています。つまり、古代から続く由緒ある「旅人の休憩所」なのです。実はここ、武田鉄矢の実家「武田たばこ店」があった場所であり、ソフトバンクの孫正義が創業した地でもあります。銀天町商店街周辺には、昔ながらの定食屋や博多ラーメンの名店が並びます。飾らない福岡の日常を味わいながら、午後の太宰府へ向かう英気を養いましょう。

車(レンタカー)で移動する場合は、雑餉隈周辺の細い道を避けるためにも、先に「太宰府」まで移動してしまうのが正解です。太宰府周辺には大型駐車場も整備されているため、駐車場の心配を先に解消でき、ランチタイムをそのまま観光の時間に充てられます。太宰府天満宮の参道には、食べ歩きの定番「梅ヶ枝餅(うめがえもち)」をはじめ、おしゃれなカフェやレストランが軒を連ねています。特に、建築家・隈研吾氏が設計した「スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店」は必見。伝統的な木組み構造を用いた斬新なデザインで、写真映えも抜群です。参道の賑わいを感じながら、優雅なランチタイムを過ごしましょう。

スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店
スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店
歴史の"継承"へ:太宰府と「九州国立博物館」で旅を締めくくる(約3時間~4時間)

ランチを終えたら、このプランの総仕上げとして「太宰府」を訪れます。 午前中まで巡ってきた弥生時代の奴国や伊都国が担っていた「アジア外交の窓口」という役割が、数百年後の律令国家時代に、この太宰府に「大宰府(おおみこともちのつかさ)」という国家機関として集約・継承されたからです。

今回の旅で見てきた「伊都国」や「奴国」は、あくまで弥生時代における地域の王(クニ)による外交でした。 しかし、663年の白村江(はくそんこう)の戦いでの敗戦を機に、日本は国防と外交を国家レベルで強化する必要に迫られました。 その結果、博多湾にあった外交窓口が、守りの堅い内陸の太宰府へと移され、「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれる巨大な役所へと進化したのです。

つまり、太宰府を訪れることは、金印の旅を「弥生時代」だけで終わらせず、その後の日本がどのように世界と向き合ったかを知る、壮大な歴史物語の“エピローグ”となるのです。

ここでは、その歴史の深さに応じて3つのスポットをおすすめします。各スポットは徒歩圏内ですが、西鉄太宰府駅でレンタサイクルを借りるのも便利です。

  • 九州国立博物館(九博):アジア史的観点の総まとめ

日本に4つしかない国立博物館の一つ。「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」というテーマは、まさにこの2日間の旅のまとめにふさわしい場所です。 常設展(文化交流展示室)を巡るだけで、金印の時代から続く壮大な交流史を、最高の環境で復習できます。また、1階の無料体験型展示室「あじっぱ」も人気です。

  • 大宰府政庁跡・大宰府展示館:古代役所のリアルを体感

より深く歴史を感じたい方は「大宰府政庁跡」へ。 広大な敷地に礎石が残るのみですが、かつてここに壮麗な役所が建ち、遣唐使などの外交使節が行き交った往時のスケールを肌で感じられます。隣接する「大宰府展示館」では、出土品や模型で古代役所のリアルを学べます。

  • 太宰府天満宮:歴史の余韻に浸る

最後に、学問の神様として有名な天満宮へ。 ここは菅原道真公が「大宰権帥(だざいのごんのそち)」として左遷された地でもありますが、それはここが当時の政治・外交の最前線だったからこそ起きた出来事です。美しい本殿や参道を散策し、古代から現代まで続く歴史の層の厚さを肌で感じながら、旅を締めくくりましょう。

伊都国、奴国、そして太宰府へ。この1泊2日の旅を通じ、「アジアの玄関口・福岡」の歴史を体感できたはずです。

九州国立博物館
九州国立博物館

【旅をアップグレードする秘訣】ワンランク上の旅を実現する1枚

今回ご紹介したような旅行プランを、より快適で上質なものにするための『秘訣』として、旅行のプロの視点から厳選した一枚のカードをご紹介します。それが「セゾンプラチナ・アメリカン・エキスプレス・カード」です。筆者のメインカードです。

このカードは、年会費33,000円、JALのマイルを直接貯めることができる「SAISON MILE CLUB」のサービス年会費が5,500円と安くはありません。

それでもなお、なぜこのカードが旅好きにおすすめなのか、その理由は以下の特典に集約されています。

  • JALマイル最高水準の還元率: 日常の支払いでJALマイルが最大1.125%という高レートで貯まり、次の旅行がぐっと近づきます 。
  • 空港ラウンジが使い放題:国内外1,600ヶ所以上の空港ラウンジが無料で利用できる「プライオリティ・パス」の最上位会員(通常年会費469米ドル)に無料で登録できます 。出発前のひとときを、喧騒から離れた落ち着いた空間で過ごせます。
  • 手荷物無料宅配:海外旅行の際、空港と自宅間のスーツケース1個を無料で配送してもらえます 。旅の行きも帰りも、身軽に移動できる快適さは格別です。
  • コンシェルジュ・サービス:プラチナ会員専用のコールセンターのスタッフに、旅行やレストラン予約手配依頼だけではなく、様々な困りごとの相談も可能です。
  • その他多数の特典: 2名以上の利用で1名分のコース料理が無料になるレストラン優待や、充実した旅行保険も付帯します 。

このカードは、その価値の高さからポイントサイト等に広告が出ることは稀で、既存会員からの紹介で入会するのが最もお得な方法です。

カード会社の規約上、ブログに直接紹介用URLを掲載することが禁じられています 。そのため、ご興味のある方は、以下のバナーをクリックすると表示される専用フォームからご連絡いただければ、すぐに紹介用URLをメールでお送りします。

もちろん、お申し込みされる方の個人情報が私に伝わることは一切ありませんので、ご安心の上、お気軽にご連絡ください

紹介特典でお得に! セゾンプラチナ・アメックスを申し込む

旅の準備:アクセス・宿泊・食事 実用ガイド

福岡市博物館へのアクセス

福岡市博物館は、福岡県福岡市早良(さわら)区に位置しています。

自動車でのアクセス

福岡市博物館や志賀島・金印公園を訪れる場合、レンタカーや自家用車を利用すれば、時間を気にせず自由に巡ることができます。

福岡市博物館へは、福岡都市高速「百道(ももち)ランプ」から約1.0km(約3分)とアクセスが非常に便利です。福岡市博物館には、普通車130台、大型バス10台の無料駐車場があります。福岡タワーやシーサイドももち海浜公園など周辺観光との組み合わせにも最適です。

志賀島・金印公園へは、福岡都市高速「アイランドシティ出口」から約14km(約25分)です。海の中道(うみのなかみち)を経由して志賀島へと渡る、一本道のシーニック・ドライブです。金印公園には無料駐車場(約10台分)が整備されています。

福岡都市高速道路は、九州自動車道の福岡インターチェンジおよび太宰府インターチェンジでつながっています。

レンタカーは、福岡空港、博多駅天神エリアで借りるのがいいと思います。エアトリで、福岡空港博多駅、天神エリアで借りられるレンタカーの格安料金を比較し予約できます。

鉄道と路線バスでのアクセス

福岡市博物館へは地下鉄空港線「西新(にしじん)駅」から、サザエさん通りを歩いて約1km(徒歩約15分)です。西新駅からのバスもあります。

西新駅までは、地下鉄空港線で、天神駅から約8分、博多駅から約14分、福岡空港駅から約19分です。遠方からは、東海道・山陽新幹線や九州新幹線などでJR博多駅に行き、地下鉄に乗り換えます。

バスの場合は、博多バスターミナルや天神からも直行バスが運行しており約25〜30分で到着します。車を使わなくても、主要観光スポットを結ぶルートの一部として組み込みやすいのが魅力です。

博多駅を発着する新幹線のチケットは、新幹線予約サイト【きっぷる】で、駅の窓口や自販機で並ばずに購入でき自宅や職場まで届けてくれます。近くにみどりの窓口があるJRの駅がない人にも便利なサービスです。

高速バスでのアクセス

九州各地や本州方面から福岡へ向かう場合、高速バスは手軽で経済的な移動手段です。九州各都市から多くの便が運行されているほか、本州方面からは東京、名古屋、四国各地とを結ぶ高速バスもあり、博多バスターミナル西鉄天神高速バスターミナルに到着します。飛行機を利用せずにアクセスしたい旅行者にも便利です。到着後は市内の路線バスや地下鉄を利用して各目的地へアクセスできます。

飛行機でのアクセス

福岡市博物館や金印公園を訪れるなら、最寄りの玄関口は福岡空港(FUK)です。国内主要都市からの便が充実しており、東京(羽田)からは約1時間半、大阪(伊丹)からは約1時間とアクセス抜群。到着後は、市中心部まで地下鉄で約5分という近さが魅力です。国際線もアジア路線を中心に多くのフライトがあります。

  • 【プロの旅の知恵】航空券をお得にする「陸マイラー」という選択肢

旅行費用の中でも、飛行機代は特に大きな割合を占めますよね。

でも実は、普段の生活の中でマイルを貯めて、特典航空券を手に入れる「陸マイラー」という方法があるんです。

当ブログの【陸マイラーの始め方 完全ガイド】では、国家資格を持つ旅行のプロである筆者が、初心者の方でも安心して年間5万マイル以上を貯めるための、安全で確実な方法を7つのSTEPで体系的に解説しています。

旅行をもっとお得に、もっと自由に楽しむ第一歩。この機会に、あなたも陸マイラーデビューしてみませんか?

【陸マイラーの始め方 完全ガイド】を読んでみる

おすすめの宿泊エリア

主要目的地である「福岡市博物館(百道エリア)」と「金印公園(志賀島エリア)」は、福岡市の中心部から見てほぼ正反対の方向に位置しています。この2拠点を効率よく巡るための最もおすすめする宿泊拠点は、観光・グルメ・交通のバランスが取れた「天神エリア「博多駅周辺」に宿泊するのが最も便利です。どちらのエリアも空港や主要観光地へのアクセスが良く、公共交通機関を使って効率的に移動できます。

「天神エリア」はショッピングや食事を楽しみたい人におすすめ。西鉄バスで「福岡タワー(TNC会館前)」まで約25分と、福岡市博物館へのアクセスもスムーズです。「博多駅周辺」は新幹線や空港からのアクセスが抜群で、ビジネスホテルからハイクラスホテルまで選択肢が豊富。

もちろん、福岡市博物館の周辺のホテル(シーサイドももちエリア)や、志賀島内のリゾートホテル(休暇村など)に泊まる選択肢もあります。 ただし、これらはどちらか一方の目的地には至近ですが、もう一方の目的地や市内中心部へのアクセスは不便になります。「PayPayドームでのイベントがメイン」「志賀島でのんびりリゾート滞在がしたい」といった明確な目的がある場合以外は、天神か博多をおすすめします。

【プロの節約術】宿泊予約はポイントサイト経由で「ポイント三重取り」がお得!

旅の計画でホテルや旅館を予約する際、予約サイト(楽天トラベルやじゃらんnetなど)から直接申し込むのは、実は非常にもったいないです。

ポイントサイトを経由する一手間を加えるだけで、

  1. 宿泊予約サイトのポイント(楽天ポイントなど)
  2. クレジットカードの決済ポイント
  3. ポイントサイト独自のポイント

これら3つのポイントを同時に獲得(三重取り)できます。貯めたポイントサイトのポイントは、現金や次の旅行のマイルにも交換可能です。

おすすめは、業界最大手で信頼性も高い「モッピー」です。私も陸マイラー活動を始めた時からずっと愛用しており、入会特典で得たポイントが最初のマイル獲得の原資になりました。

以下のバナーからの入会で限定特典も受け取れます。入会料も利用料ももちろん無料で、あなたの個人情報が私に伝わることは一切ありませんので、安心してご活用ください。

稼いだポイントをマイルへ!陸マイラー御用達モッピー

これを食べたい!ご当地グルメ情報

福岡は、日本屈指の“食の都”。福岡市博物館周辺の百道(ももち)エリアから、志賀島の海鮮グルメまで、旅の途中で立ち寄りたい名物料理が数多く揃っています。ここでは、本モデルコースと相性のいいご当地グルメを、エリア別に紹介します。

【福岡市博物館】福岡タワーランチと「西新」のローカル飯

博物館のすぐ隣にある福岡タワー内の展望レストランや、周辺の商業施設(マークイズ福岡ももち等)には、オシャレなレストランやカフェ、フードコートが充実しています。観光の合間に、海を眺めながら優雅にランチを楽しむのも良いでしょう。

穴場は「西新商店街」。 もし少しローカルな雰囲気を味わいたいなら、活気あふれる「西新商店街」は地元民の台所で、安くて美味しい定食屋や、「博多ラーメン」の隠れた名店などが見つかるグルメの穴場です。

小腹が空いたら、元祖ムツゴロウのむっちゃん万十はいかがでしょうか。ムツゴロウの形をした生地にいろいろな具材を挟んで焼き上げたむっちゃん万十福岡のソウルフードです。大人気の具材がハムエッグです。

西新駅の4-A出口のすぐそばにむっちゃん万十・西新店があります。福岡県を中心に約20店舗を展開中ですので、福岡の別の地域でも購入できます。

むっちゃん万十「ハムエッグ」
むっちゃん万十「ハムエッグ」
(出典:むっちゃん万十公式ウェブサイト https://mucchanmanjyuu.com/img/menu/hamu.jpg)

【志賀島エリア】金印公園の後は必食!玄界灘の「海鮮グルメ」

志賀島エリアに足を伸ばすなら、玄界灘で獲れる新鮮な海の幸も見逃せません。「サザエ丼」や「海鮮丼」、季節限定の「牡蠣小屋」など、海辺ならではのグルメが充実しています。

名物の「さざえ丼」をぜひ。コリコリとした食感のサザエを、甘辛いダシととろとろの卵でとじた丼ぶりは、まさにここでしか味わえない逸品です。シンプルな「さざえの壺焼き」も外せません。

もちろん、その日に獲れたばかりの地魚を使った「海鮮丼」や「刺身定食」も絶品です。船着き場周辺や島内の食堂で、玄界灘の幸を心ゆくまで堪能してください。

おすすめのガイドブック

旅行には紙のガイドブックを!安心感&情報のまとまりが魅力

インターネットで検索すれば最新の旅行情報が得られますが、旅には紙のガイドブックを持って行くのがおすすめです。まとまった情報を手元に持っておける安心感があり、移動中やネット環境がない場所でもサッと確認できます。地図を広げながら計画を練る時間は旅の醍醐味の一つです。必要に応じて、最新情報はインターネットで補完するとさらに便利です。

国内旅行のガイドブックを発行している会社は、株式会社昭文社、株式会社JTBパブリッシング、株式会社地球の歩き方などが大手です。それぞれ特長がありますので、お好みの一冊を選んではいかがでしょうか。

昭文社(Shobunsha)

地図のプロフェッショナル・昭文社は、以下のガイドブックを発行。特に「まっぷる」シリーズは地図が見やすく、旅行プランが立てやすいと人気です。

  • まっぷる(地図の見やすさに定評)
  • ことりっぷ(週末の小さな贅沢旅を提案)
  • COLOR+(テーマ別に楽しめるカラフルなガイドブック)
  • 山と高原地図(登山向けの詳細地図)
  • ツーリングマップル(バイク旅行者向け)
  • ことりっぷ国内版は、「週末に行く小さな贅沢、自分だけの旅」がコンセプト。旅好きの女性が楽しめる2泊3日の旅行プランが特徴です。(公式サイトより)

JTBパブリッシング(JTB Publishing)

旅行代理店国内最大手の株式会社JTBグループの出版部門で、旅行情報に強みを持つ出版社。「るるぶ」シリーズは情報量が豊富で、初めての旅行先でも安心!

  • るるぶ(「見る」「食べる」「遊ぶ」情報が充実)
  • 楽楽(持ち歩きやすいコンパクト版)
  • ココミル(大人向けの上質な旅を提案)
  • ララチッタ(女子旅向け)
  • JTB時刻表(鉄道旅行者の必携アイテム)
  • るるぶの由来:「見る」「食べる」「遊ぶ」の最後の文字をつなげたネーミング。観光・グルメ・アクティビティがバランスよく掲載されているのが魅力です。

安心・快適な、おすすめネット環境

旅行中、こんな不安や不便を感じたことはありませんか?

  • ホテルやカフェの無料Wi-Fiに接続するのがちょっと不安…
  • 公共のネットワークで、個人情報やクレカ情報が盗まれたらどうしよう…
  • 宿でゆっくり動画を見ようと思ったら、エリア制限や通信制限に悩まされた…

そんなときに頼れるのが【NordVPN(ノードVPN)】です。

NordVPNは、国内外を問わず、フリーWi-Fiの利用時に通信内容を暗号化してくれるVPNサービス。第三者からの盗み見や個人情報の漏洩を防ぎ、旅先でも安心してスマホやPCを使うことができます。

また、日本国内でも動画配信サービスやゲームの速度が安定しやすくなるなど、旅の快適さを損なわないネット環境を整えるのにも役立ちます。さらに、通信先を自由に切り替えられるため、海外サイトでの航空券やホテル検索の際、地域による価格差をチェック・回避できるという裏ワザにも使えます。

旅行をもっと安心・便利に楽しむなら、VPNは今や必須のツールです。
国内旅行でも使えるからこそ、これからの時代の「旅の基本装備」として、ぜひ導入を検討してみてください。

もちろん、筆者も使っています。旅先でのこの安心感は、一度使ってみると手放せなくなります。

以下のバナーから申し込めば、いまならNordVPNが最大70%オフ+最大10GBのSailyの無料eSIMデータが申し込めます。30日間返金保証付きで初心者も安心です。この機会にぜひどうぞ。

手順はとても簡単。
バナーをクリックすると、NordVPNの公式サイトに移動します。公式サイト画面右上の「NordVPNを購入」の赤いボタンをクリック
以下の流れで、すぐに安全なネット環境を手に入れられます。

  1. プランを選択
     プランは、安全で高速なVPNをリーズナブルに利用できるベーシックプラン、マルウェア対策とブラウジング保護など安心機能が充実のプラスプラン、1TBクラウドストレージもついてくるコンプリートプランから選べます。一番人気はプラスプラン
     期間も、利用目的に応じて、1ヶ月・1年・2年が選択可能。
  2. メールアドレスの入力
     アカウント作成に使用するメールアドレスを入力します。
  3. お支払い情報の入力
     クレジットカードやPayPal、仮想通貨など、お好きな方法でお支払い可能です。
     30日間返金保証があるので、初めてでも安心です。
  4. アプリをダウンロードしてログイン
     PC・スマホ・タブレットなど、複数のデバイスに対応。ログインすればすぐにVPN接続が可能です。

わずか数分で完了し、その日から旅先でも安心・安全なインターネット環境が手に入ります。

空港やホテル、カフェのフリーWi-Fiでも安心して通信できるのがVPNの最大の魅力。
旅先でクレジットカードや個人情報を守るためにも、今のうちに準備しておくのがおすすめです。
まずは公式サイトをチェックしてみてください。

【旅好きの方へ】あなたの旅を、もっと深く、もっと面白くしませんか?

ここまで読んでくださったあなたは、きっと旅が好きな方だと思います。

もし、旅先の歴史や文化をもっと深く理解したり、自分だけの完璧な旅行プランを立てることに喜びを感じるなら、国家資格「総合旅行業務取扱管理者」に挑戦してみるのもおすすめです。

旅行業界で働く人向けの「専門家向けの難しい試験では?」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。筆者自身も、約3ヶ月の独学で一発合格しました。この資格の勉強を通して、法律や地理、実務知識が身につき、旅行者としても物事を多角的に見られるようになります。旅に役立つ知識も得られますよ。

以下の記事で、具体的な勉強法や合格のコツを詳しく解説しています。あなたの「好き」を「専門知識」に変えて、次の旅をもっと豊かなものにしませんか?

【独学で一発合格】総合旅行業務取扱管理者試験の基礎知識と勉強法を読む

:国宝「金印」を巡る旅で最高の思い出を作ろう

  • 福岡市博物館での「実物との対面」は、2.3cmに凝縮された2000年の重みを感じる感動体験です。
  • 「半日効率プラン」「1泊2日魏志倭人伝プラン」、滞在時間に合わせて選べる最適なルートを提案しました。
  • 発見の地「志賀島」や王都「奴国」を巡ることで、歴史の「点」が「線」につながります。
  • 古代の「那の津」から現代の「天神ビッグバン」へ。アジアの玄関口として進化を続ける福岡という都市に流れる進取の気風を体感しましょう。

次のお休みは、2000年の歴史ロマンを感じる福岡旅へ出かけてみませんか?
きっと、あなたの心に残る発見が待っています。

旅する際には、最新の情報を確認しましょう。

最後までご覧いただきありがとうございました。良い旅を!

本記事は、筆者自身の取材・経験・調査に基づいて執筆していますが、文章構成や表現の一部、およびリサーチの補助に生成AI(ChatGPTなど)を活用しています。最終的な内容の正確性と責任は、国家資格を有する筆者が確認・監修したうえで公開しています。

  • この記事を書いた人

野兎八兵衛 のうさぎはちべえ

国家資格「総合旅行業務取扱管理者」と「技術経営修士(専門職)」を持つ「旅行」と「経営」の専門家です。
国内全47都道府県/海外約30ヶ国を訪問済み。西国三十三ヵ所観音巡礼結願。東京メトロ全駅スタンプラリーコンプリート。
2022年夏、陸マイラー始めました。
専門知識と実体験に基づき、「安全で確実なマイルの貯め方」を初心者目線で体系的に解説するとともに、「感動が深まる旅」のガイドと戦略的な旅行プランの作り方を紹介しています。
運営者情報と当サイトの編集方針