熊野三山に行ってみたいけど,見どころは何だろう?
熊野三山まで行くのなら,周辺の観光地も合わせてまわってみたいけど,どのように旅行プランを作ればいいのか分からない。
野兎八兵衛(のうさぎ はちべえ)です。国家資格「総合旅行業務取扱管理者」を持つ野兎八兵衛が,熊野三山とその周辺の見どころを案内し,熊野三山を含めた旅行プランの作り方を説明します。
本記事の内容
- 熊野三山とその周辺の見どころ
- 熊野三山を含めた旅行プランの作り方
熊野三山とその周辺の見どころがわかり,熊野三山を含めた旅行プランを作れるようになると思いますよ。
熊野三山に行く前に知っておきたいこと
熊野の神さびた気候風土
紀伊半島の誕生と熊野の地形
熊野(くまの)は,紀伊半島南部の地域を指します。
7,000万年前から1,500万年前にかけて,フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込み,プレートの境目にあった堆積物が押しつけられて盛り上がり陸地になりました。1,500万年前から1,400万年前には,マグマによる火山活動があり陸地が大きく隆起し,日本最大の半島である紀伊半島を造成しました。
国立研究開発法人・海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究では,紀伊半島先端の潮岬沖で沈み込むフィリピン海プレート上に周辺よりも固く重いドーム型の巨大な岩体があることが示されています(海と地球の情報サイト JAMSTEC BASE「沈み込むフィリピン海プレートの上に異様な岩体を発見」)。
隆起した陸地は大峰山脈や大台ヶ原など1,500mから2,000m近い山々からなる紀伊山地となりました。紀伊山地の最高峰は大峰山脈の八経ヶ岳(はっきょうがたけ)で標高1,915mです。近畿地方の最高地点です。
紀伊半島は,急峻な山塊が黒潮に突き出す形状をしており,太平洋の温暖で湿潤な空気が山地にぶつかることで年間3,000mmを超える雨が降る,日本有数の多雨地帯です。大量に降った雨は,山を削り,激しい川となり,深い谷をつくり,海に流れ出します。
大峰山系に降った雨は,多くの支流を合わせながら十津川渓谷を南に向かい,大台ヶ原を水源とする北山川と合流し熊野灘に注ぎます。紀伊半島最大の河川で,上流では天ノ川,十津川,下流では熊野川と呼ばれており,新宮川水系を成す延長183kmの一級河川です。下流部分では和歌山県と三重県の県境となっています。
熊野の森林と海
紀伊半島は雨が多いため深い森林が広がっています。木が多いことから「木の国」と呼ばれ,「紀の国」「紀伊国」に変化したという説があります。木材の供給地として,吉野杉などは,神社仏閣の建築資材として活用されました。
紀伊半島は急峻な山地が海岸にまで迫っているため,リアス海岸を形成しています。海岸付近には平野部はほとんどありません。リアス海岸は複雑で入り組んだ海岸線を持つため,浦々に集落が形成され,海路が発達し,操船技術が向上しました。船の材料に使われる豊富な木材があることも海を活かす生活を支えました。
熊野の歴史と文化
このような自然環境から,熊野は,奈良や京の都から近いにもかかわらず,神々が宿る深い森で覆われた神秘的な場所であり,その先は海の果ての黄泉の国に続く地であり,神聖な領域として捉えられていたようです。
温泉も多く,南紀白浜温泉は,万葉集にも登場し,日本書紀には当時の天皇が訪れたことが記載されているなど,道後温泉(愛媛県),有馬温泉(兵庫県)と並び日本三古湯のひとつとされています。
熊野という地名の語源は,隅(クマ:(都からみて)奥まったところ)という説が有力のようですが,供物(クモツ)・供米(クマイ)など供えるもの,神(カム)などの説もあります。
日本で初めて行政区画を定めたのは,第13代天皇の成務天皇(せいむてんのう)と言われています。ただし,成務天皇は四世紀中頃に在位されたとされていますが,実在性が疑われています。熊野はひとつの行政区画とされ,熊野国造(くまののくにのみやつこ)が置かれました。
第36代天皇である孝徳天皇(在位:645年 - 654年)の時代には,熊野は牟婁(むろ)郡として紀伊國に編入されました。牟婁郡は,北牟婁,南牟婁,東牟婁,西牟婁に分かれていて,全てが紀伊國に含まれました。以降,幕末まで,熊野(牟婁)は紀伊國の一部であり続けます。
出典:https://inabana.com/wp-content/uploads/2023/06/kumtut-03L.jpg
近代以降の熊野
明治になって,廃藩置県に伴い,曲折はあったものの,紀伊國のうちの熊野(牟婁)地域は,東牟婁と西牟婁は和歌山県に,北牟婁と南牟婁は三重県に,分かれることになりました。
1936年(昭和11年)には,紀伊半島の山岳,川や滝や谷,海岸・海中などからなる,奈良県・三重県・和歌山県の3県に跨がる吉野熊野国立公園が指定されました。1967年(昭和42年)には,高野山エリアが高野龍神国定公園に指定されました。
戦後になっても,交通の発達は遅れ,紀伊半島の海沿いを走る国鉄紀勢本線が全線開通したのは,1959年(昭和34年)でした。
紀伊半島を一周する高速道路である紀勢自動車道は,部分開通が順次進んでいますが,まだ全線開通していません。紀伊半島最南端部分のすさみ串本道路の工事において多数の硬質岩が出て地盤のひび割れが発見されたため対策工法を検討する必要が生じ,2025年(令和7年)春に開通予定となっていましたが,現時点で開通時期の見通しは立っていません。
紀伊半島の霊場と熊野三山
紀伊半島の霊場とその歴史
日本神話の時代から熊野は登場します。日向(九州)にいたカムヤマトイワレビコは,大和(現在の奈良県)を目指して東へ向かいますが,途中に様々な困難や敵に出会います。そのとき,天照大御神(あまてらすおおかみ)の使いとして現れた八咫烏(ヤタガラス)の導きにより,熊野から山中を越え大和の橿原の宮(奈良県橿原市)に達し,初代天皇である神武天皇として天下を治めます。八咫烏は目的地に導き勝利をもたらす神として信仰されています。
奈良時代からは仏教の影響を受け,紀伊山地にある,高野山,吉野大峯,熊野は,それぞれが聖地・霊場として発展していきます。
熊野三山(くまのさんざん)とは,熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ),熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ),熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)の3つの神社の総称です。3つの神社はそれぞれ起源が異なりますが,原初には熊野の厳しくも雄大な自然に対する崇拝から発生したと考えられています。
高野山は,816年(弘仁7年)に空海(弘法大師)が修禅の道場として開いた,真言密教である高野山真言宗の総本山である高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)の境内を中心とした宗教都市となっています。
高野山(和歌山県)は,比叡山(滋賀県,京都府),恐山(青森県)とともに日本三大霊山といわれています。日本三大霊山,日本三大霊地,日本三大霊場など類似の表現がありますが,ここでは日本三大霊山とします。
当ブログでは,恐山を訪ねる旅のガイドとプランの記事で,恐山の巡り方と周辺の見どころを紹介しています。よろしければ,そちらもどうぞ。
吉野大峯は,7世紀に実在した,修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)が参籠修行し,修験道を基礎を築いた場所です。吉野山には修験道の総本山である金峯山寺(きんぷせんじ)があり,大峯山系にある山上ヶ岳(1,719m)の山頂近くに大峯山寺(おおみねさんじ)があります。山上ヶ岳は,今でも女人禁制です。
熊野においては,熊野本宮大社,熊野速玉大社,熊野那智大社の三社は,それぞれ個別に発展していきます。
奈良時代に入ってきた仏教の影響を受け,平安時代には本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想により神仏習合が進みました。本地垂迹とは,日本古来の八百万の神々は実は様々な異国の仏が化身として日本に現れた権現であるという,仏教が日本に伝来し普及していくと共に発展した神仏習合思想のひとつです。
熊野本宮大社の主祭神の家都美御子神(けつみみこのかみ)は阿弥陀如来,熊野速玉大社の主祭神の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)は薬師如来,熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)は千手観音とされました。
家都美御子神(阿弥陀如来),熊野速玉男神(薬師如来),熊野牟須美神(千手観音)の三神(三仏)を熊野三所権現といい,三神(三仏)以外の神にもそれぞれ仏名を配しており,全部で十二社あることから熊野十二社権現とも呼ばれています。
12世紀には,三社はお互いに三所(十二所)権現を祀りあうようになって一体化していきます。熊野の三社は神社ですが,仏教とのつながりが強いことから,三山と呼ばれています。
平安時代前期には,第59代天皇である宇多天皇(867年(貞観9年) - 931年(承平元年))は,醍醐天皇に譲位し宇多法皇となっていた907年(延喜7年)に,上皇として始めて熊野に詣でています。
平安時代中期では,第65代天皇である花山天皇(968年(安和元年) - 1008年(寛弘5年))は,19歳で出家して播磨國書写山の圓教寺に入ります。その後,比叡山延暦寺で受戒して法皇になりました。
花山法皇は,991年(正暦2年)に熊野に御幸します。那智山で参籠していたところ,枕元に現れた熊野権現から,奈良時代の718年(養老2年)に徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するようお告げを受けました。お告げに従い,花山天皇が三十三の観音霊場を巡礼したことが,「西国三十三所観音巡礼」として現在まで継承されています。
花山天皇は,2024年(令和6年)放送の,吉高由里子主演のNHK大河ドラマ「光る君へ」で,本郷奏多が演じています。
当ブログでは,姫路城を訪ねる旅のガイドとプランの記事で,播磨國書写山圓教寺に触れています。よろしければ,そちらもどうぞ。
熊野三山の信仰と浄土思想
平安時代後期になると,武士が台頭し貴族政治が衰え治安が悪くなっていくのと合わせ,釈迦の正しい教えが全く行われなくなる時代が来るという末法思想が広がり,死後に極楽浄土へ生きたいと願い阿弥陀如来を信仰する浄土教が盛んになります。
熊野は,熊野本宮大社は西方極楽浄土,熊野速玉大社は東方浄瑠璃浄土,熊野那智大社は南方補陀落浄土の地であると考えられるようになります。浄土へ詣り帰ってくるということは死と再生を意味し,熊野は「よみがえりの聖地」として多くの人の信仰を集めました。
熊野三山は,身分の貴賎や老若男女の隔てなく,障碍者や病気の人など他の聖地では忌避されがちな人も関係なく,全ての人を受け入れたことから,非常に人気となりました。
熊野古道と参詣の道
熊野三山への参詣が増えるに伴って,参詣道である熊野古道が整備されていきます。
京の都から熊野三山に詣でる熊野古道として,最も多く利用されたルートが大坂から海岸沿いに田辺に続く紀伊路です。田辺から山間部に入り熊野三山を巡るルートが中辺路(かなへち)です。田辺からさらに南下し紀伊半島の最南部をまわって勝浦まで続くルートが大辺路(おおへち)です。
高野山と熊野本宮大社とを結ぶルートが小辺路(こへち)です。伊勢神宮と熊野三山とを結ぶルートが伊勢路です。吉野と熊野を結ぶルートが大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)です。
貴人の熊野参詣には,案内人として先達と呼ばれる修験者がいました。修験者達は,参詣者の道中の守護を祈願するために,道沿いに多くの神社を整備しました。これらの神社を王子と呼び,儀礼を行う場所でした。王子は12世紀から13世紀にかけて整備され,数は時代によって増減しますが100ヶ所以上あり,「多くの」を意味する九十九を付けて九十九王子(くじゅうくおうじ)と呼ばれています。
東京都北区に王子という地名があり,JR京浜東北線や東京メトロ南北線の駅があります。この王子とは,熊野三山の熊野十二所権現のひとつである若宮(若一王子(にゃくいちおうじ)=天照大神)のことで,1322年(元亨2年)に,一帯を治めていた豊島氏が熊野十二所権現の若一王子を勧請したことが,王子という地名の由来であり,現在も東京都北区王子本町に王子神社があります。
天皇・上皇・法皇による熊野への行幸・御幸は,平安時代初期の907年(延喜7年)の宇多上皇に始まり,花山法皇の2度,白河上皇の9度,鳥羽上皇21度,崇徳上皇の1度,後白河上皇34度,後鳥羽上皇の28度,後嵯峨上皇の2度と続き,鎌倉時代の1281年(弘安4年)の亀山上皇の御幸まで続きました。
平安時代の熊野詣の記録が残っています。後鳥羽上皇の熊野詣に同行した藤原定家の「熊野道之間愚記(後鳥羽院熊野御幸記)」(国宝,三井記念美術館蔵)によると,1201年(建仁元年)10月5日に京の都を出発し,淀川を下って大坂に出て,海岸沿いを南下し,口熊野と呼ばれた田辺から山中に入り,16日に熊野本宮大社,18日に熊野速玉大社,19日に那智の滝を詣で,26日に京に戻っています。全22日間を要しています。
鎌倉時代までには,熊野三山を詣でるためのルートが整備され,庶民にも広がり,多くの参詣者が列をなして歩くほどに盛んになり,「蟻の熊野詣」と形容されました。
江戸時代に入り,徳川家康の十男で紀伊國和歌山藩初代藩主である徳川頼宣は,熊野三山の復興に力を入れます。戦のない時代となり,庶民が旅するようになります。「伊勢に七度 熊野に三度」と言われ,伊勢神宮と合わせて熊野三山にお詣りするルートが確立されます。
出典:新宮市観光協会のサイト https://www.shinguu.jp/kumanokodo2
熊野の地域社会と歴史
熊野では,9世紀から,熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を統括する役職として熊野別当が置かれるようになりました。熊野別当職を世襲した熊野別当家は,新宮に本拠を置く新宮別当家と,本宮と田辺を拠点とする田辺別当家に分裂していきます。
熊野は,海に面し平地が少ないという地理的な状況から操船技術が発展し,やがて水軍を組成し,紀伊半島西側の紀淡海峡や瀬戸内海へも勢力を伸ばしていきます。熊野別当は熊野水軍も統括していました。
新宮別当家は源氏と、田辺別当家は平家と結びつきが強く,源平合戦の最終戦となった1185年(寿永4年/ 元暦2年)の壇ノ浦の戦いでは,元々平氏寄りであった熊野別当の湛増が源氏方に付き,源氏の勝利に大きく貢献しました。
日本で二番目に多い苗字である「鈴木」は,大和國北部の一部地域を本拠地とした古代豪族である穂積氏の子孫の流れを汲み,熊野速玉大社の禰宜であった穂積国興の次男である鈴木基行(すずきもとゆき)が初めて名乗った姓です。鈴木氏は,九十九王子の中でも別格とされた五体王子のひとつである藤白神社(和歌山県海南市藤白)の神官を務めました。藤白の鈴木氏は,ここを拠点にして全国に熊野信仰を広めたため,全国に鈴木姓が多くなったと言われています。
藤白神社にある鈴木屋敷は「鈴木」姓の発祥の地とされ,藤白鈴木氏が1942年(昭和17年)に途絶えた後は荒れ果てていましたが,2015年(平成27年)に鈴木屋敷も含めた藤白神社が国の史跡に指定されたことを受け,2023年(令和5年)に復元され一般公開されています。JR海南駅から約1.5kmです。無料の駐車場があります。拝観料300円です。鈴木屋敷復元のための事業費は約1億5千万円で,国と和歌山県と海南市が6割を負担し,4割をクラウドファンディングで賄いました。
現代の熊野三山
2004年(平成16年)には,「紀伊山地の霊場と参詣道(Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range)」としてUNESCOの世界文化遺産に登録され,2016年(平成28年)に軽微な変更がなされました。
現在,熊野三山の三社はそれぞれ別の宗教法人となっています。
熊野三山の見どころ
熊野三山(熊野本宮大社,熊野速玉大社,熊野那智大社)は,それぞれ独自の魅力を持っています。たとえば,熊野本宮大社の大斎原(おおゆのはら),熊野速玉大社の梛(なぎ)の木,熊野那智大社の那智の滝などが挙げられます。これらの見どころを楽しむための巡り方については、後ほど詳しく解説します。
2004年(平成16年)に,熊野三山,高野山,吉野大峯の3つの霊場とそれらを結ぶ参詣道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)」は,世界文化遺産に登録されました。この世界文化遺産は日本で初めて,人間と自然との相互作用によって生み出された「文化的景観」としても評価を受けています。
熊野古道は,熊野三山をはじめとする霊場を結ぶ参詣道であり,全長約1,000kmのうち約200kmが世界文化遺産として登録されています。すべてを歩くのは難しいかもしれませんが,熊野三山周辺の一部だけでも散策することをおすすめします。その道中では,古の巡礼者たちが辿った歴史と自然の美しさを感じることができます。
なお,道が世界遺産に登録されている例は,熊野古道のほか,フランスとスペインにある「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」だけです。この巡礼路は,フランスとスペインでそれぞれ別々に世界遺産として登録されています。
また,2014年(平成26年)には,和歌山県田辺市とスペイン・ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラ市が観光交流協定を締結しました。この協定により,熊野古道とサンティアゴ巡礼路の間での文化的交流がさらに深まりました。
出展:田辺市熊野ツーリズムビューローのサイト https://www.tb-kumano.jp/kumano-kodo/
熊野三山へのアクセス
熊野三山は,和歌山県に位置しています。
熊野本宮大社は和歌山県田辺市,熊野速玉大社は和歌山県新宮市,熊野那智大社は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にあります。
熊野本宮大社と熊野速玉大社の間は約35km,熊野速玉大社と熊野那智大社の間は約22km,離れています。
熊野三山エリアへの入口となるのは,東側が新宮市,西側が田辺市です。
自動車でのアクセス
熊野三山の近くには,高速道路のインターチェンジはありません。
名古屋方面からは,新名神高速道路または東名阪道から,伊勢自動車道経由で,紀勢自動車道が熊野大泊インターチェンジまでつながっています。その先は,国道42号線を走ります。熊野大泊インターチェンジから新宮駅まで約25kmです。
大阪方面からは,阪和自動車道から,紀勢自動車道がすさみ南インターチェンジまでつながっています。その先は国道42号線を走ります。すさみ南インターチェンジから新宮駅まで約68kmです。
奈良方面から国道168号線で新宮に向かう方法もあります。京阪奈自動車道の五條インターチェンジから新宮駅まで約123kmです。
レンタカーは,新宮駅または紀伊勝浦駅で借りるのが便利です。エアトリで借りられるレンタカーの格安料金を比較し,予約できます。
鉄道でのアクセス
熊野三山のうち,熊野本宮大社と熊野速玉大社の最寄り駅は新宮駅です。熊野那智大社の最寄り駅は那智駅ですが,那智駅には特急は停まりませんし,熊野那智大社へのバスは全て紀伊勝浦駅が始発ですので,特急が停まり店舗や宿泊施設も多い紀伊勝浦駅の方が便利です。
名古屋方面からは,名古屋駅始発で,四日市駅,津駅,松阪駅,新宮駅などに停車し,紀伊勝浦駅着の特急南紀が便利です。名古屋駅から新宮駅まで約3時間28分,紀伊勝浦駅まで約3時間46分です。
JR東海では,南紀・熊野古道フリーきっぷを発売しています。南紀・熊野古道フリーきっぷには伊勢路コースと中辺路コースがあり,伊勢路コースは特急南紀の往復指定席券とJRフリー区間の乗り放題およびバスフリー区間の三重交通バス乗車券が,中辺路コースは特急南紀の往復指定席券とJRフリー区間の乗り放題およびバスフリー区間の熊野南海御坊バスの乗車券が,セットになったおトクな切符です。
大阪方面からは,京都駅,新大阪駅,天王寺駅発で,和歌山駅,紀伊田辺駅,白浜駅,紀伊勝浦駅,などに停車し,新宮駅着の特急くろしおが便利です。天王寺駅から紀伊田辺駅まで約2時間,白浜駅まで約2時間11分,南紀勝浦駅まで約3時間43分,新宮駅まで約4時間7分です。
大阪方面からは,近鉄大阪線で松阪駅に出て,JRの特急南紀に乗り換える方が早く安く着く場合があります。
特急くろしおには,パンダくろしおの編成もあります。カワイイですね。
出展:JRおでかけネットのパンダくろしおのページ https://www.jr-odekake.net/railroad/kuroshio/pandakuroshio/
長距離バスでのアクセス
東京方面からは,三重交通株式会社と西武観光バス株式会社の共同運行で,高速南紀東京大宮線を運行しています。埼玉県の大宮営業所発で,大宮駅西口,池袋駅東口,バスタ新宿,YCATなどを経由して,紀北町紀伊長島,海山バスセンター,尾鷲市,熊野市駅前,三交新宮駅前などに停まり,勝浦温泉までの路線を運行しています。バスタ新宿から三交新宮駅前まで約9時間30分です。
明光バス株式会社が,大宮営業所発で,大宮駅西口,池袋駅東口,バスタ新宿,YCATなどを経由して,海南駅前,田辺駅前,白浜バスセンターなどに停まり,南 紀 白 浜 空 港までの路線を運行しています。バスタ新宿から田辺駅前まで,約10時間26分です。
名古屋方面からは,三重交通株式会社が,名古屋(名鉄バスセンター)発で,VISON(ヴィソン),紀北町紀伊長島,海山バスセンター,熊野市駅前などに停まり,三交新宮駅前までの路線を運行しています。名古屋から三交新宮駅前まで約3時間58分です。
大阪方面からは,明光バス株式会社が,大阪駅JR高速バスターミナル発で,JRなんば駅(OCAT),りんくうタウン駅,田辺駅前,白浜バスセンター,南紀白浜空港などに停まり,アドベンチャーワールドまで,の路線を運行しています。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン発の便もあります。田辺駅前まで約3時間3分です。
新宮,田辺,白浜への高速バスは,高速バス比較サイト【バスブックマーク】で,検索・予約できます。
日本一長い路線バスとして有名な,奈良交通の八木新宮特急バスが,本宮大社前バス停に停まります。八木新宮特急バスは,近鉄大阪線と橿原(かしはら)線の乗り継ぎ駅である大和八木駅(奈良県橿原市)と新宮駅(和歌山県新宮市)との間を結んでいます。全長169.85㎞を168ヶ所の停留所を経て約6時間半かけて走ります。大和八木駅~新宮駅を同一便で完全乗車すると乗車記念品がもらえます。
飛行機でのアクセス
熊野三山に最も近いのは,南紀白浜空港(愛称:熊野白浜リゾート空港)です。JALが東京羽田空港との間を就航しています。熊野御坊南海バスが南紀白浜空港と新宮駅との間に空港リムジンバスを運行しています。南紀白浜空港と新宮駅間は約2時間20分です。
東京以外からは,関西国際空港が便利でしょう。国内は,札幌新千歳,仙台,新潟,東京成田,東京羽田,福岡,長崎,宮崎,鹿児島,那覇,宮古,石垣とを結んでいます。
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熊野三山の巡り方
熊野三山を巡る順番
熊野三山(熊野本宮大社,熊野速玉大社,熊野那智大社)の公式ウェブサイトには,参拝順に関する記述は見当たりませんでした。そのため,正式な参拝順は特にないと考えてよいでしょう。
平安時代には,京の都から熊野へ向かう参詣ルートとして主に「紀伊路」が利用されていました。このルートでは,中辺路(なかへち)を通るため,自然と 熊野本宮大社 → 熊野速玉大社 → 熊野那智大社 の順で巡ることが多かったようです。
一方,江戸時代になると,伊勢参りと組み合わせて熊野を訪れる人が増え,「伊勢路」を通るルートも一般的になりました。この場合、熊野速玉大社または熊野本宮大社を最初に参拝し,最後に熊野那智大社を訪れるケースが多かったとされています。
現代では,鉄道や道路網が整備され,移動の自由度が大きく広がりました。そのため,参拝順については特にこだわる必要はありません。自分の旅程や興味に合わせて巡るのが一番です。
筆者自身は,熊野那智大社⇒熊野速玉大社⇒熊野本宮大社の順で巡りました。それぞれの大社には個性豊かな見どころがあり,どの順番でも熊野三山の魅力を十分に楽しむことができると思います。
熊野三山エリア内における交通
熊野本宮大社,熊野速玉大社,熊野那智大社は,それぞれ離れた場所にあり,熊野本宮大社と熊野速玉大社の間は約35km,熊野速玉大社と熊野那智大社の間は約22km,離れています。
自動車の場合は,熊野本宮大社と熊野速玉大社の間は国道168号線を走ります。熊野速玉大社と熊野那智大社の間は国道42号線と県道46号線を通ります。
鉄道の場合は,熊野本宮大社と熊野速玉大社との間には路線はありません。熊野速玉大社と熊野那智大社との間はJR紀勢本線があり,熊野速玉大社最寄り駅である新宮駅と熊野那智大社の最寄り駅である那智駅の間は4駅で約17分です。新宮駅と紀伊勝浦駅とは6駅約23分で,特急では約18分です。
バスの場合は,熊野本宮大社と熊野速玉大社との間は,熊野南海御坊バスの川丈線(新宮駅~本宮大社前)が運行しています。川湯温泉や湯の峰温泉を経由する便もあります。また,前述した日本一長い路線バスの奈良交通の八木新宮特急バスが通っています。熊野那智大社へは,熊野南海御坊バスの那智山線(紀伊勝浦駅~那智山)が運行しています。新宮から那智山に直接行く路線はありません。
熊野南海御坊バスでは,熊野三山や熊野古道を巡るのに便利な,有効期限内であれば何度でも乗り降り自由でおトクな悠遊フリー乗車券を販売しています。悠遊フリー乗車券には,1日券,2日券,3日券がありますので,旅行日程に合わせて活用可能です。一部の施設でのお買い物割引特典もあります。
龍神自動車では,龍神バスのJR紀伊田辺駅〜中辺路〜熊野本宮大社〜発心門王子を結ぶ熊野本宮線が4日間乗り放題となる,熊野本宮線4日間フリーチケットを販売しています。熊野本宮線は中辺路に沿っているので,熊野本宮線4日間フリーチケットは,中辺路を中心に散策する場合に便利なチケットです。おとな3,500円ことも2,000円で4日間乗り放題です。
明光バスでは,白浜空港から,JR田辺駅前などに停車して,熊野古道の中辺路に沿って通り,熊野本宮大社を経由してJR新宮駅までを結ぶ路線を運行しています。
熊野本宮大社から熊野速玉大社の間は,熊野川を川で下ることもできます。熊野本宮大社と熊野速玉大社を結ぶ川の参詣道も世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。川の参詣道は,川舟下りとして,一般財団法人熊野川町ふれあい公社が運営しています。熊野本宮大社から,熊野川沿いに約19km下流にある乗船場所から出発し,熊野速玉大社近くの河原で下船する,約90分の片道コースです。乗船場所は,熊野御坊南海バスの川丈線の道の駅熊野川バス停近くです。自家用車の場合は,下船後に乗船場所まで送迎してもらえます。
熊野本宮大社
熊野本宮大社は,崇神天皇65年(紀元前33年)に,熊野川・音無川・岩田川の中州である大斎原(おおゆのはら)に創建されたと伝えられています。
主祭神は,川を神格化したと考えられている家津美御子大神(ケツミミコノオオカミ(スサノオノミコト))です。熊野本宮大社は,全国に3,000社以上ある熊野神社・十二所神社の総本宮です。
大斎原にはかつて,上四社,中四社,下四社,拝殿,楼門,神楽殿,能舞台など多くの社殿が建てられていました。しかし,1889年(明治22年)の十津川大水害で上四社以外の建物は全て流されてしまいました。その後,1891年(明治24年)に上四社が大斎原から北方数百メートルの現在地に移築されました。再建されなかった建物の神々は,大斎原に建立された二基の石の祠に祀られています。
大斎原には,高さ33.9mの日本一大きい鳥居が2000年(平成12年)に建てられました。この鳥居は耐候性の鋼製で,周囲の自然と調和した壮観な景色を作り出しています。
駐車場と交通
熊野本宮大社には,瑞鳳殿の隣と河原に無料駐車場があります。
熊野本宮大社の鳥居前には,田辺市が開設した「世界遺産熊野本宮館」があり,こちらも無料の駐車場が完備されています。路線バスの本宮大社前バス停も世界遺産熊野本宮館に隣接しています。
世界遺産熊野本宮館には,世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』や熊野本宮大社に関する展示があり,参拝前後に立ち寄るのがおすすめです。
参拝順
熊野本宮大社の参拝順は,熊野本宮大社,産田社(うぶたしゃ),大斎原の順です。
熊野本宮大社の鳥居をくぐって,杉木立の参道を進みましょう。
参道の先の158段の石段を登り神門を通ると神殿が現れます。神殿には四ヶ所の参拝場所があります。参拝の順序は,①証誠殿(本宮・第三殿),②中御前(結宮・第二殿),③西御前(結宮・第一殿),④東御前(若宮・第四殿)です。
四ヶ所を参拝したら,最後に,神殿の右手にある,結ひの神(八百萬の神)を祀っている満山社にお参りしましょう。
社務所の前にある八咫鏡ポストは,通常のポストとして手紙を投函できます。社務所では,投函用の記念のスタンプや,ハガキとして仕える八咫烏ポスト絵馬も販売されています。ぜひ記念に利用してみてください。
熊野本宮大社の参拝を終えたら,参道を戻り鳥居を出て道路を渡って民家の脇を抜けていくと,産田社(うぶたしゃ)や大斎原に行くことができます。民家の脇に標識があるので分かると思います。熊野本宮大社の鳥居から大斎原の日本一の大鳥居まで約350mです。
本ブログでは,弥彦山を訪ねる旅のガイドとプランの記事で,1982年(昭和57年)の建造時には日本一でしたが,現在は第3位の大きさを誇る彌彦神社の鳥居に触れています。よろしければ,そちらもどうぞ。
熊野速玉大社
熊野速玉大社は,神代には熊野の神々が神倉山のゴトビキ岩に降臨され,景行天皇58年(西暦319年)には現在の場所に新しい宮を造って遷られたと言われています。新しい宮を造ったことから,この地を「新宮」と号したとされています。
熊野速玉大社の主祭神は,熊野川の河口にあり素速い水の動きを神格化したと考えられる,熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神です。
境内には御神木である国内最大と言われる梛(ナギ)の木があります。この梛の木は国の天然記念物に指定されています。また,新宮市の市の木は梛です。
熊野速玉大社の梛の木は,1159年(平治元年)に社殿の落成を記念して,平清盛の嫡男である平重盛(たいらのしげもり,1138年(保延4年) - 1179年(治承3年))がお手植えと伝えられています。平重盛は,1159年(平治元年)に熊野を参詣しています。御神木であることから,熊野信仰の広がりに伴って,全国の神社に梛の木が植えられるようになったと言われています。神事に榊(サカキ)ではなく梛(ナギ)を使う神社もあります。
梛は常緑の針葉樹ですが,広葉樹のように葉が広く,主脈はなく葉脈が平行に走っています。そのため梛の葉は非常に切れにくく,その丈夫さと左右対称の形状から,夫婦の縁が切れないようにとの思いを込めて,嫁に行く娘の鏡の裏やタンスに忍ばせて持たせる風習がありました。夫婦円満で過ごせるよう,源頼朝と北条政子も一枚ずつ持っていたと伝えられています。
また,梛(ナギ)は凪(ナギ)に通じることから,梛の葉は漁師や旅人の航海安全のお守りとされてきました。そのことから,広く災難除けや開運,金運のご利益があるとされ,財布などに入れておくとよいとされています。
熊野速玉大社では,御神木の梛の実でつくられたなぎ人形やなぎまもりなどを頂くことができます。
熊野速玉大社から南へ約1kmのところに,熊野速玉大社の摂社である,神倉山のゴトビキ岩を御神体とする神倉神社があります。源頼朝が寄進したと伝えられている538段の急峻な石段を登った社殿の広場からは,新宮市街地と熊野灘の絶景を望むことができます。
毎年2月6日には,神火を移した松明を持った白装束の男性が急な石段を駆け下りる奇祭「御燈祭(おとうまつり)」が行われます。
出典:和歌山県公式観光サイト https://www.wakayama-kanko.or.jp/spots/71/
新宮市出身の芥川賞作家・中上健次が脚本を書いた映画「火まつり」は,監督・柳町光男監督,主演・北大路欣也で,1985年(昭和60年)に公開されました。この映画「火まつり」に着想を得た漫画家・ジョージ朝倉の漫画「溺れるナイフ」は,『別冊フレンド』にて2004年11月号から連載を開始し150万部以上の累計発行部数を誇り,監督・山戸結希,主演・小松菜奈と菅田将暉で実写映画化され,2016年(平成28年)に公開されました。「溺れるナイフ」に出てくる火祭りは熊野速玉大社の摂社神倉神社の「御燈祭(おとうまつり)」をモデルにしています。
熊野那智大社
熊野那智大社は,那智の滝に対する自然信仰から発生したと考えられ,317年(仁徳天皇5年)に社殿が現在の地に設けられました。
熊野那智大社の主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ(イザナミノミコト))です。
熊野那智大社には,バスの場合は熊野南海御坊バスでJR紀伊勝浦駅からJR那智駅経由で終点の那智山バス停まで約26分です。自動車の場合は,熊野那智大社に無料の駐車場がありますが,神社防災道路通行料として800円が必要です。
時間と体力がある人は,バスであれば大門坂バス停で,自動車であれば大門坂の駐車場に駐めて,熊野古道を歩いてみることをオススメします。大門坂の駐車場は無料で,観光案内所やトイレもあります。
大門坂の駐車場には,なでしこジャパンの記念モニュメントの八咫烏の像があります。公益財団法人日本サッカー協会(JFA)のシンボルに八咫烏が描かれていることはよく知られており,正式には会旗及び標章規則で定められています。
日本サッカーの始祖と呼ばれる,中村覚之助(1878年(明治11年) - 1906年(明治39年))は,現在の和歌山県那智勝浦町に生まれました。東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学し,日本で最初の体操教師と言われる教授の坪井玄道が持ち帰った「アッソシェーションフットボール」を翻訳し,日本で最初のサッカーチームとされるア式蹴球部(現在の筑波大学蹴球部)を創設しました。
日本サッカー協会は,1921年(大正10年)に大日本蹴球協會として創立しました。1931年(昭和6年)に,大日本蹴球協會旗章を制定しました。東京高等師範学校の蹴球部員であった協會理事長の内野台嶺(うちのたいれい)らが,東京高等師範学校の先輩である中村覚之助の出身地の熊野那智大社の八咫烏をヒントにして発案したとされています。彫刻家の日名子実三(ひなごじつぞう)が図案化しました。
サッカーを初めとした球技の神様としては,京都・今出川の白峯神宮があります。当ブログでは,金刀比羅宮を訪ねる旅のガイドとプランの記事で,白峯神宮に触れています。よろしければ,そちらもどうぞ。
大門坂の駐車場とバス停から,250m程先に進むと,大門坂の石碑があります。
大門坂の石碑の左側から熊野古道の大門坂を登り始めます。登りきった場所にかつては熊野那智大社の大門があったことから,大門坂と名付けられました。大門坂は,中辺路の中でも美しい石段が残されていて,熊野古道らしさを感じられる場所です。
大門坂を上り始めるとほどなく振ヶ瀬橋(ふりがせばし)という小さな橋があります。橋を渡った先からは聖域となります。
振ヶ瀬橋の手前には,博物学の巨星で知の巨人と呼ばれる,南方熊楠(みなかたくまぐす,1867年(慶応3年) - 1941年(昭和16年))が3年近く研究の拠点としていた大阪屋旅館跡があります。南方熊楠は和歌山城の城下町で生まれ,和歌山中学卒業後上京し,共立学校(現在の開成高校)を経て,大学予備門(後の東京大学)に入学します。同窓生には,夏目漱石,正岡子規,秋山真之などがいました。大学予備門での定期テストで落第となって退学したのち,20歳からアメリカやイギリスに遊学し,33歳で帰国し和歌山県田辺市に定住し,生涯在野の研究者として過ごしました。白浜町には,南方熊楠記念館があります。
振ヶ瀬橋から先は,ひっそりとした石段が続きます。473段の石段を登ると駐車場があり,右手に進んでいくと門前町が現れ,土産物店などの間をさらに階段を上って抜けていくと,熊野那智大社に到着します。大門坂の石碑から約1.3kmで40分ほどです。
熊野那智大社の拝殿前の広場からは,眼下に展望が開けています。
出典:田辺市熊野ツーリズムビューロー https://www.tb-kumano.jp/kumano-kodo/sanzan/kumano-nachi-taisha/
熊野那智大社の社殿の隣に,那智山青岸渡寺の本堂があります。
青岸渡寺は,明治の神仏分離以前は熊野那智大社と一体であり,如意輪観音が納められた如意輪堂でした。神仏分離令により,熊野本宮大社や熊野速玉大社では仏堂が廃されましたが,熊野那智大社では如意輪堂が残され青岸渡寺として分離されました。
青岸渡寺の本堂の後方には熊野那智大社の朱色の三重の塔があり,その右手奥にある那智の滝と組み合わせた写真の撮影スポットとして人気です。
青岸渡寺から降りていくと那智の滝前バス停に出ます。駐車場は土産物店の有料駐車場があります。那智の滝前バス停前のあたりから,飛龍神社の参道に入っていきます。
那智の滝は,熊野那智大社の別宮である飛瀧神社の御神体として祀られています。滝が御神体なので,御神体を祀る社はありません。
那智の滝は落差約133mで,滝壺の深さは10mあります。滝の落口から滝壺まで真っ直ぐに落ちる一段の滝(直瀑)としては日本で2位の高さを誇る滝で,袋田の滝(茨城県),華厳の滝(栃木県)と合わせて,日本三名瀑のひとつに数えられています。
ちなみに,直爆で落差日本一は,北海道蘂取郡(しべとろぐん)蘂取村(しべとろむら)にある,落差140mのラッキベツの滝です。ラッキベツの滝は,択捉島の北東端近くにあり,いわゆる北方領土で日本の施政権が及んでおらず,訪問することが難しい状況にあります。
飛龍神社の参道は約40mで,下っていくと那智の滝の前に出ます。社務所で参入料を納めると,那智の滝を最も近く真正面で拝観できる舞台に進むことができます。舞台まで約3分です。延命長寿の水とも伝えられている那智の滝の水を飲むこともでき,滝の水を用いて運勢を占えるおみくじもあります。
お参りしたら,那智の滝前バス停前に戻り,車道を下っていきましょう。バスに乗ってもいいですが,徒歩であれば途中から大門坂に戻ることができます。
熊野三山を訪ねるための宿泊地
紀伊半島が隆起した際には,マグマによる火山活動もありましたので,熊野地域には,多くの温泉があります。
熊野三山を訪ねるには,熊野那智大社や熊野速玉大社に近い勝浦温泉,熊野本宮大社方面であれば湯の峰温泉や川湯温泉,中辺路を歩くのであれば白浜温泉などが候補となります。広い地域で選択が可能ですので,旅の日程,人数,スタイルなどに合わせて選びましょう。
宿泊施設の予約をする際に,ポイントサイトを利用するとお得に泊まれることをご存じでしょうか?
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熊野三山を訪ねる旅で食べたい食事
勝浦漁港は,生マグロの漁獲量で日本一の漁港です。
水産庁の水産物流調査によると,産地水産物年間調査の2022年度(令和4年度)確報で,和歌山県の勝浦漁港は,漁港別品目別上場水揚量で,生のビンナガマグロが5,591トンで,2位の千葉県の勝浦漁港の3,773トンを大きく上回って日本一の水揚量です。生のキハダマグロも1,485トンで,2位の千葉県の銚子漁港の1,035トンを抑えて日本一です。
生のクロマグロでは1,491トンの宮城県の塩釜漁港が1位,生のメバチマグロでは1位の塩釜漁港が782トン,2位が和歌山県の勝浦漁港で643トンです。
当ブログでは,鹽竈神社を訪ねる旅のガイドとプランの記事で,「三陸塩竈ひがしもの」としてブランド化したメバチマグロを取り上げています。よろしければ,そちらもどうぞ。
勝浦漁港には,にぎわい市場があり,生マグロの解体ショーを毎日開催しています。にぎわい市場内にはマグロ料理や地ビールを提供する飲食店や和歌山の物産を取り扱う土産店などがあります。にぎわい市場は紀伊勝浦駅から約300mです。無料の駐車場もあります。付近にはマグロ料理を提供する飲食店がたくさんあります。
出典:和歌山県那智勝浦町ウェブサイト https://www.town.nachikatsuura.wakayama.jp/info/646
熊野三山の周辺の見どころと旅行プランの作り方
ルート作成の考え方
熊野三山を巡るためには,最低でも数時間はかかります。一日確保しておくとゆっくりお参りできるでしょう。
熊野三山以外にも,多くの見どころがあります。組み合わせることで,変化のある旅が楽しめると思います。
ルート例① 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を巡る旅
熊野三山,高野山,吉野大峯の三つの霊場とそれらを結ぶ参詣道を巡る旅です。熊野三山,高野山,吉野大峯のそれぞれに一日は確保しておきましょう。
熊野三山,高野山,吉野大峯の三つの霊場を巡る順番はどのようにでも可能ですが,大阪方面からは,高野山⇒吉野大峯⇒熊野三山が回りやすいように思います。名古屋方面からは,熊野三山⇒高野山⇒吉野大峯が回りやすいように思います。東京から飛行機で南紀白浜空港に到着する場合は,熊野三山⇒吉野大峯⇒高野山と巡って関西国際空港から帰京する方法も考えられます。
大阪方面から高野山に向かうには,南海電鉄の高野線で終点の極楽橋駅で南海高野山ケーブルに乗り換えて高野山駅に着きます。自動車の場合は,阪和自動車道の岸和田和泉インターチェンジで下りて国道480号線で向かいます。金剛峯寺に無料の駐車場があります。
高野山は「一山境内地」として山全体が総本山金剛峯寺の境内です。壇上伽藍と奥之院の2大聖地だけではなく,山上は一大都市となっていて広いと感じると思います。山内の移動は南海りんかんバスが便利です。
出典:和歌山県公式観光サイト https://www.wakayama-kanko.or.jp/spots/detail_524.html
高野山から吉野へは,電車であれば,極楽橋駅から南海高野線で橋本駅でJR和歌山線に乗り換え吉野口駅で近鉄吉野駅に向かうか,南海高野線で河内長野駅で近鉄に乗り換える方法もあります。近鉄吉野駅から徒歩3分で吉野山ロープウェイの千本口駅があり約3分で吉野山駅に到着します。吉野山ロープウェイは,現役のロープウェイとしては国内最古で,一般社団法人日本機械学会から機械遺産に指定されています。吉野山駅から約500mで金峯山寺です。バスもあります。
自動車であれば,国道480号,京奈和自動車道(けいなわじどうしゃどう)の紀北かつらぎインターチェンジと五條北インターチェンジ,国道370号線,国道169号線などを走ることになります。金峯山寺には駐車場はありません。約1km手前の下千本駐車場に駐めることになります。下千本駐車場からはバスもあります。
大峯には,近鉄吉野線の下市口駅から奈良交通の洞川(どろがわ)温泉行きで終点の洞川温泉バス停で降りて,徒歩で約4時間半で大峯山寺です。ただし,洞川温泉街を抜けて約3kmの大峯大橋を渡った先からは女人禁制です。自動車の場合は,国道309号線で洞川温泉に向かいます。京奈和自動車道(けいなわじどうしゃどう)の五條北インターチェンジから約37kmです。
出典:吉野山観光協会 https://yoshinoyama-kankou.com/temples/金峯山寺蔵王堂/
吉野から熊野三山へは,近鉄吉野駅から近鉄吉野線と橿原線で大和八木駅で降りて,日本一長い路線バスである奈良交通の八木新宮特急バスに乗る方法があります。大和八木駅から近鉄特急で松阪駅でJRに乗り換え新宮駅に向かうこともできます。自動車の場合は,主に国道168号線を走ることになります。金峯山寺から熊野本宮大社まで約100kmです。
高野山と熊野三山とを行き来する場合は,龍神自動車株式会社が聖地巡礼バスを運行しています。
ルート例② 熊野の歴史,文化,自然を堪能する旅
熊野には,熊野三山以外にも,見どころがたくさんあります。
熊野那智大社と隣接する青岸渡寺には,別院として補陀洛山寺(ふだらくさんじ)があります。JR那智駅から約200mです。補陀洛山寺は,海岸に近く,平安時代から江戸時代にかけて,那智浜から南方の補陀落浄土に向けて海を越えて行こうとする補陀洛渡海が行われていました。補陀洛渡海は,土佐(高知県)の室戸岬や足摺岬などでも記録が残っていますが,最も多くの資料が残っているのが熊野の補陀洛山寺です。2019年4月20日に放送されたNHK「ブラタモリ」は「熊野 ~なぜ熊野は日本の聖地になった?~」がテーマで,番組の最後にタモリ一行は補陀洛山寺を訪ねます。
補陀落渡海は,生還するあてのない捨身行でした。小さな渡海船には窓や扉はなく,30日分の食料と灯油だけを積み込み,乗船後に外からくぎで打ち付けられ,沖合まで曳航され綱を切られました。
出典:補陀洛山寺のウェブサイト https://www.fudarakusanji.or.jp/補陀落渡海について/
補陀落渡海の最古の事例は,868年(貞観10年)に熊野で慶龍上人によって行われたものとされています。
補陀落渡海は,16世紀に盛んに行われるようになります。渡海者のほとんどは,餓死あるいは水没死したと考えられています。補陀洛山寺の裏山には渡海した上人たちの墓があります。しかしながら,奇跡的に陸地に漂着する例があります。
日秀(にっしゅう,1503年(文亀3年) - 1577年(天正5年))は,上野國(群馬県)出身で殺人を犯し出家し,高野山で修行します。日秀は,那智浜から補陀落渡海を行いましたが,琉球国の金武(きん,沖縄県国頭郡金武町)に漂着します。日秀はこの地を補陀落浄土と考え,金武の鍾乳洞を拠点として布教活動を行い,同地に金峯山観音寺・金武宮を建てます。鍾乳洞は日秀洞と呼ばれています。金峯山観音寺は,1934年(昭和9年)に火災により焼失しましたが,1942年(昭和17年)に再建されました。太平洋戦争の沖縄戦で多くを失った沖縄において,戦前に建てられ現在まで残る貴重な木造建築物です。
日秀は,那覇市にある琉球総鎮守である波上宮(なみのうえぐう)など,琉球で多くの神社仏閣を再興します。琉球では,古くから海の彼方にニライカナイという理想郷があると信じられてきました。補陀落浄土を信じる熊野信仰と通底する概念があると捉えられたのか,琉球国から特別な扱いを受けた琉球八社のうち,金武宮を含む七社が熊野権現を祀っています。沖縄の神社の多くは熊野権現を御祭神としています。
出典:那覇市観光協会 NAHANAVI https://www.naha-navi.or.jp/sightseeing/naminoue-shrine/
16世紀後半には,金光坊(こんこぶ)という僧が補陀落渡海に出ましたが渡海船から脱出しました。金光坊は付近の島にたどり着きますが,直ぐに捕らえられて入水させられました。この事件を題材に井上靖は小説「補陀落渡海記」を書きました。金光坊が脱出したどり着いた島は「金光坊島(こんこぶじま)」とよばれています。
金光坊の事件以降は,住職などが亡くなってから遺体を渡海船に載せて水葬する形式に変わったようです。
補陀落渡海の最後の事例は1909年(明治42年)に,高知県足摺岬にある金剛福寺の天俊上人によって行われたものです。
那智勝浦町に囲まれるようにして,太地町(たいじちょう)があります。太地町は古式捕鯨発祥の地として知られています。日本列島では何千年も前から捕鯨が行われていたことが考古学的に証明されていますが,産業としての捕鯨は1606年(慶長11年)に太地で始まったと言われています。江戸時代は紀州藩の保護もあり捕鯨は盛んになります。明治になると,アメリカによる西洋式捕鯨法を用いた乱獲の影響でクジラの数が激減するとともに,近海での古式捕鯨法では対抗が難しく,太地の捕鯨産業は衰退していきます。
太地町には,燈明灯台,狼煙場,鯨骨鳥居,くじら浜公園,くじら供養碑など捕鯨に関する施設が多くあります。クジラ料理店もあります。世界でも珍しいクジラ専門の博物館である太地町立くじらの博物館では,クジラの生態や捕鯨に関する資料など1000点以上が展示されており,捕鯨の歴史や技術などを学ぶことができます。太地町立くじらの博物館では,クジラのショーが見られるエリア,鯨類が飼育されている水族館,他にはないクジラと触れあえる体験施設など,見どころがたくさんあります。博物館本館にはクジラの実物大模型がありその大きさに驚きます。
紀伊半島最南端は串本町で,本州最南端の自治体です。
本州最南端の潮岬は芝生の広場になっていて,本州最南端の碑があり,先端の見晴台からは太平洋に広がる大パノラマが楽しめ,地球が丸いことを確認できます。隣接する潮岬タワーでは,「本州最南端訪問証明書」を発行しています。
潮岬の西側800m程の場所に潮岬灯台があります。潮岬灯台は,日本に16基しかないのぼれる灯台の一つで,日本の灯台50選に選ばれています。
当ブログでは,,恐山を訪ねる旅のガイドとプランの記事で,本州最北端の青森県の大間崎を紹介しています。よろしければ,そちらもどうぞ。
潮岬の東側には,紀伊大島があり,1999年(平成11年)にくしもと大橋により潮岬とつながりました。くしもと大橋は,290mのアーチ橋と386mのループ橋からなり,自動車のCMにも使われたことがある特徴的な橋です。
紀伊大島の東端の樫野崎には,日本最古の石造り灯台である樫野埼灯台 (かしのざきとうだい)があります。紀伊半島先端の地域は台風銀座とも呼ばれる,台風の接近・上陸が多い地域です。
1890年(明治23年)に,オスマン帝国の第34代皇帝であるアブデュルハミト2世の命により,軍艦エルトゥールル号が日本に派遣され,明治天皇へ勲章を奉呈しました。その帰途紀伊大島の樫野埼東方の海岸沿いで,台風による強風に煽られエルトゥールル号は岩礁に激突し,22時半頃に沈没しました。600名以上が船外に投げ出されましたが,夜間にもかかわらず,住民は衣類や食糧を供出するなど懸命な救難活動を行い,69名が救出されました。しかしながら,犠牲者587名という大惨事となりました。
樫野埼灯台そばには,慰霊碑とトルコ記念館が建てられています。トルコ記念館には,エルトゥールル号の模型や乗員の遺品などが展示されています。現在でも,5年ごとに串本町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭が行われています。
2015年に,日本とトルコの友好125周年記念として,日本とトルコ合作映画「海難1890」が制作されました。
串本町に建設されたスペースポート紀伊は,日本初の民間ロケット射場です。スペースワン株式会社が,スペースポート紀伊を運営し,民間小型ロケットカイロスを打ち上げます。串本町は,旧古座分庁舎を宇宙ふれあいホール「Sora-Miru(ソラミル)」に改修し,2025年(令和7年)春頃にープン予定です。
当ブログでは,桜島を訪ねる旅のガイドとプランの記事で,国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の内之浦宇宙空間観測所を紹介しています。
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熊野三山を旅するための基礎データ,オススメのガイドブック
熊野三山を旅するための基礎データ
熊野三山の基礎データは以下です。
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 熊野本宮大社 |
郵便番号 | 〒647-1731 |
住所 | 和歌山県田辺市本宮町本宮 |
電話番号 | 0735-42-0009 |
公式ウェブサイト | https://www.hongutaisha.jp/ |
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 熊野速玉大社 |
郵便番号 | 〒647-0081 |
住所 | 和歌山県新宮市新宮1番地 |
電話番号 | 0735-22-2533 |
公式ウェブサイト | https://kumanohayatama.jp/ |
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | 熊野那智大社 |
郵便番号 | 〒649-5301 |
住所 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 |
電話番号 | 0735-55-0321 |
公式ウェブサイト | https://kumanonachitaisha.or.jp/ |
熊野三山を旅するためのオススメのガイドブック
インターネットで検索すれば最新の情報が得られますが,旅にはガイドブックがあった方がいいと思います。やはり手元にまとまった情報があるのは安心です。必要に応じてインターネットで最新の情報を補完しましょう。
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地図を得意とする旺文社は,まっぷる,ことりっぷ,COLOR+,山と高原地図,ツーリングマップルなどを発行しています。まっぷるは旺文社が得意とする地図に優位性があると言われています。ことりっぷは,国内版は「週末に行く小さな贅沢、自分だけの旅」をコンセプトとした”旅好きの女性が週末に行く、2泊3日の小さな旅を提案する国内ガイドブック”(ことりっぷサイト)です。
旅行代理店国内最大手の株式会社JTBの子会社であるJTBパブリッシングはるるぶ,楽々,ココミル,ララチッタ,時刻表などを発行しています。るるぶは「見る」「食べる」「遊ぶ」の最後の文字を組み合わせた誌名からして幅広い情報に優れているとされています。
まとめ
- 熊野は,神さびた気候風土を有し,八咫烏(ヤタガラス)の導きにより,熊野を超えて大和橿原に至り,初代天皇である神武天皇として天下を治めた。
- 熊野三山は浄土の地と考えられ,詣り帰ってくるということは死と再生を意味し,よみがえりの聖地として多くの人の信仰を集めている。
- 熊野本宮大社は大斎原,熊野速玉大社は梛の木,熊野那智大社は那智の滝など,それぞれ特徴のある見どころが多い。
- 熊野三山,高野山,吉野大峯の3つの霊場とそれらを結ぶ参詣道が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている。
- 熊野三山は互いに離れているので,交通手段に応じた計画が必要。
- 熊野地域には,熊野三山以外にも見どころが多く,ゆったりとした日程で旅することをオススメする。
熊野三山とその周辺の見どころを案内し,熊野三山を含めた旅行プランの作り方を説明しました。
旅する際には,最新の情報を確認しましょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。良い旅を!